花火の花が咲く。その時にめんまを覚えているか。めんまを思って、思い出して、みんなの笑顔へとつながるだろうか?
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大きなテーマはここだと思います。めんまが生きている理由。めんまがじんたんの前だけ姿が見える理由。その答えが最終回で明かされることになるのだと思いますが、プレ最終回として、じんたんとめんまの夜道での会話がその答えを導き出しているように感じました。
めんまは生まれ変わって、また、みんなと一緒に過ごす。きっと、これが今のめんまの本当の願い。だから、もう、叶っているんですよね。別に生まれ変わらなくても、このままで…、じんたんを介したみんなとのやりとり、日記帳を介したみんなとのやりとり。それでいいじゃないか、と思えてしまう。
だけど、めんまは違うんですよね。みんなと一緒にいる、という実感がないと、それはハリボテの友情や仲間意識だけで、自分がここにいる、というのが全くわからない。みんなはめんまのことを愛しているのは、とても良くわかるわけですよ。
だから、めんまは毎回涙するわけで。だけど、その愛に対して、めんまは応えることが出来ない。実体のない愛に実体のない体。そこをつなぐものがない。与えられて、与えられて、涙して…。また、与えられる。その連鎖が辛い。
みんなも仲間意識だけではなく、めんまがそこにいて欲しいと願っている。だから、めんまを発端としたじんたんへの疑いと劣等感を抱いてしまうわけで、どうしても、超平和バスターズとしてのぎこちなさは否めない。
今回でも、めんまが好きなゆきあつ、ゆきあつが好きなつるこ、じんたんが好きなあなる、めんまが好きなじんたんと、恋愛傍観者であるぽっぽでさえも、じれったいと感じてしまうくらいに、この超平和バスターズは行き先を見失っている。
そこにめんまがいるだけで、超平和バスターズは機能しない。自主解散になったのはめんまが亡くなったせいだと思うけど、めんまがいても機能しないことにめんま自身がやりきれない気持ちになっているのだと思う。だから、何もかもをハッキリさせて、両想いの人は付き合って、フラれた人はまた新しい恋愛を探し求めて、一歩先に踏み出すことができる。
超平和バスターズは集まったけれども、超平和バスターズとしての関係はこじれまくっている。それはじんたんが悪いわけでも、めんまが悪いわけでもない。だからこそ、めんまは生まれ変わって、こんな現状をどうにかしたいと思っているんだろう。方法がそれしかないから…。
最初はもしかしたら、じんたんが動き出すことで、超平和バスターズは何か変わったかも知れない。変えられたかも知れない。そこはやっぱり、じんたんに期待しているめんまがいるわけで…。
何の因果でじんたんにだけ見えるのかはわからない。じんたんのめんまへの愛が強いから、じんたんの幻想の中で生まれた仮想めんま。だけど、じんたんは仮想めんまで満足してしまったんですよね。
めんまはみんなのことが好き。
じんたんはめんまのことが好き。
だけど、めんまは結婚したいという意味でじんたんのことが好き。同じように、じんたんもそう思っている。相思相愛。でも、めんまは本当に結婚したい。じんたんも結婚出来たらいいに決まっているけど、そこに仮想めんまがいてくれれば、それでいい。
だけど、もし、花火を打ち上げて消えてしまったら、じんたんがめんまに対して感じた結婚したいという意味での好きは一生抱え込んでいかなければいけない。
それこそ、言葉に出してしまえば、婚約だ。めんまに気を使って、自分も好きだよ、と言ってあげられればいい。だけど、めんまと違って、自分には将来がある。その将来を担保にして(どんな『C』だよw)、めんまとの「好き」を共有し続ける義務をこれから負い続ける。
ただ、仮想めんまがいなくなったら、その婚約は破棄すればいい。だけど、じんたんの性格ではそんな非道なことは出来ない。
でも、その気持ちを一生抱え続けて生きていくのかも知れない。そんな不安。それと同じように、好きな人を追いかけているじんたんのことが好きなあなるも報われない。
報われない者同士が一緒になるという発想のゆきあつの気持ちもわかる。それはお互いの傷を舐めあうだけの恋愛という名を語っただけの共感。その共感に負けてしまった、つるこも報われない。
だから、どんなに頑張っても今のままではいけない。変化して、成長して、生まれ変わって、また、超平和バスターズの一員になって、また、みんなで遊んで、その楽しい毎日の繰り返しが続くんだよ。超平和バスターズは今日も平和じゃないといけないしね。悲しみに暮れて、涙する毎日ではなく、みんなが笑って過ごせれば、それでいいんだよ。
だけど、じんたんとしては不安だけが押し寄せる。これから、これから、自分はどうすればいいんだろう? めんまが亡くなった後の自分に元通りなのだろうか? それとも、一人で、いや、この超平和バスターズの一員として、みんなと仲良く平和な日々を過ごすことが出来るのだろうか?
きっと、それはわからない。わからないからこその不安。だったら、今のままで…。今のままでも十分なんじゃないか。得ようとすれば何かを失う。自分は何も失っていないのに、仮想めんまという存在を得た。
ならば、失って当然。これ以上の何かを得ようだなんて、虫の良すぎる話だ。だけど、めんまの願いを叶えたい。この表面上のめんまを思う気持ちと、自分を思う気持ちが交錯する。美しく花火を咲かせてやろうだなんて…。
花火という創作にお金を費やし、そのお金をバイトで稼ぎ、その時間と労力を使って得た物。それが、一瞬の間に、失う。それがめんまの望むものであろうと、自分の母親が望んだものであろうと、一瞬で全てがなくなることへの恐れで一杯になる。
みんなの笑顔が見れればいい。きっと、そんな甘いことじゃない。一瞬で無くなるということが亡くなることへのトラウマが蘇る。成長していない。全く、あの時と成長していない。
だけど、成長しなくていいんじゃないか? 亡くなることは悲しく、失うことに慣れてしまう人生なんて…もうこりごりだ。だから、何もなくすことはしたくない。このじんたんの心情の変化が胸にせまるものがあり、最後はあの時と同じめんまの苦笑いで終わる。
この苦笑いで失った。何もかも失った。最終回、超平和バスターズは何を得て終わることが出来るのか楽しみだけど…辛いです…。
大きなテーマはここだと思います。めんまが生きている理由。めんまがじんたんの前だけ姿が見える理由。その答えが最終回で明かされることになるのだと思いますが、プレ最終回として、じんたんとめんまの夜道での会話がその答えを導き出しているように感じました。
めんまは誰のもの? みんなのもの? じんたんのもの?
めんまは生まれ変わって、また、みんなと一緒に過ごす。きっと、これが今のめんまの本当の願い。だから、もう、叶っているんですよね。別に生まれ変わらなくても、このままで…、じんたんを介したみんなとのやりとり、日記帳を介したみんなとのやりとり。それでいいじゃないか、と思えてしまう。
だけど、めんまは違うんですよね。みんなと一緒にいる、という実感がないと、それはハリボテの友情や仲間意識だけで、自分がここにいる、というのが全くわからない。みんなはめんまのことを愛しているのは、とても良くわかるわけですよ。
だから、めんまは毎回涙するわけで。だけど、その愛に対して、めんまは応えることが出来ない。実体のない愛に実体のない体。そこをつなぐものがない。与えられて、与えられて、涙して…。また、与えられる。その連鎖が辛い。
みんなも仲間意識だけではなく、めんまがそこにいて欲しいと願っている。だから、めんまを発端としたじんたんへの疑いと劣等感を抱いてしまうわけで、どうしても、超平和バスターズとしてのぎこちなさは否めない。
今回でも、めんまが好きなゆきあつ、ゆきあつが好きなつるこ、じんたんが好きなあなる、めんまが好きなじんたんと、恋愛傍観者であるぽっぽでさえも、じれったいと感じてしまうくらいに、この超平和バスターズは行き先を見失っている。
そこにめんまがいるだけで、超平和バスターズは機能しない。自主解散になったのはめんまが亡くなったせいだと思うけど、めんまがいても機能しないことにめんま自身がやりきれない気持ちになっているのだと思う。だから、何もかもをハッキリさせて、両想いの人は付き合って、フラれた人はまた新しい恋愛を探し求めて、一歩先に踏み出すことができる。
超平和バスターズは集まったけれども、超平和バスターズとしての関係はこじれまくっている。それはじんたんが悪いわけでも、めんまが悪いわけでもない。だからこそ、めんまは生まれ変わって、こんな現状をどうにかしたいと思っているんだろう。方法がそれしかないから…。
最初はもしかしたら、じんたんが動き出すことで、超平和バスターズは何か変わったかも知れない。変えられたかも知れない。そこはやっぱり、じんたんに期待しているめんまがいるわけで…。
何の因果でじんたんにだけ見えるのかはわからない。じんたんのめんまへの愛が強いから、じんたんの幻想の中で生まれた仮想めんま。だけど、じんたんは仮想めんまで満足してしまったんですよね。
「好き」と「好き」の重さの違いとニュアンスの違い
めんまはみんなのことが好き。
じんたんはめんまのことが好き。
だけど、めんまは結婚したいという意味でじんたんのことが好き。同じように、じんたんもそう思っている。相思相愛。でも、めんまは本当に結婚したい。じんたんも結婚出来たらいいに決まっているけど、そこに仮想めんまがいてくれれば、それでいい。
だけど、もし、花火を打ち上げて消えてしまったら、じんたんがめんまに対して感じた結婚したいという意味での好きは一生抱え込んでいかなければいけない。
それこそ、言葉に出してしまえば、婚約だ。めんまに気を使って、自分も好きだよ、と言ってあげられればいい。だけど、めんまと違って、自分には将来がある。その将来を担保にして(どんな『C』だよw)、めんまとの「好き」を共有し続ける義務をこれから負い続ける。
ただ、仮想めんまがいなくなったら、その婚約は破棄すればいい。だけど、じんたんの性格ではそんな非道なことは出来ない。
でも、その気持ちを一生抱え続けて生きていくのかも知れない。そんな不安。それと同じように、好きな人を追いかけているじんたんのことが好きなあなるも報われない。
報われない者同士が一緒になるという発想のゆきあつの気持ちもわかる。それはお互いの傷を舐めあうだけの恋愛という名を語っただけの共感。その共感に負けてしまった、つるこも報われない。
だから、どんなに頑張っても今のままではいけない。変化して、成長して、生まれ変わって、また、超平和バスターズの一員になって、また、みんなで遊んで、その楽しい毎日の繰り返しが続くんだよ。超平和バスターズは今日も平和じゃないといけないしね。悲しみに暮れて、涙する毎日ではなく、みんなが笑って過ごせれば、それでいいんだよ。
めんまを失う超平和バスターズの今後
だけど、じんたんとしては不安だけが押し寄せる。これから、これから、自分はどうすればいいんだろう? めんまが亡くなった後の自分に元通りなのだろうか? それとも、一人で、いや、この超平和バスターズの一員として、みんなと仲良く平和な日々を過ごすことが出来るのだろうか?
きっと、それはわからない。わからないからこその不安。だったら、今のままで…。今のままでも十分なんじゃないか。得ようとすれば何かを失う。自分は何も失っていないのに、仮想めんまという存在を得た。
ならば、失って当然。これ以上の何かを得ようだなんて、虫の良すぎる話だ。だけど、めんまの願いを叶えたい。この表面上のめんまを思う気持ちと、自分を思う気持ちが交錯する。美しく花火を咲かせてやろうだなんて…。
花火という創作にお金を費やし、そのお金をバイトで稼ぎ、その時間と労力を使って得た物。それが、一瞬の間に、失う。それがめんまの望むものであろうと、自分の母親が望んだものであろうと、一瞬で全てがなくなることへの恐れで一杯になる。
みんなの笑顔が見れればいい。きっと、そんな甘いことじゃない。一瞬で無くなるということが亡くなることへのトラウマが蘇る。成長していない。全く、あの時と成長していない。
だけど、成長しなくていいんじゃないか? 亡くなることは悲しく、失うことに慣れてしまう人生なんて…もうこりごりだ。だから、何もなくすことはしたくない。このじんたんの心情の変化が胸にせまるものがあり、最後はあの時と同じめんまの苦笑いで終わる。
この苦笑いで失った。何もかも失った。最終回、超平和バスターズは何を得て終わることが出来るのか楽しみだけど…辛いです…。
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