始まって終わって、また始まって終わる。繰り返し、繰り返し、繰り返し……。
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その繰り返しの中をただ延々と彷徨う。その繰り返しに居心地の良さを感じられるか。そんな競技かるたという世界の中での忍耐と苦難の物語。それもまた終わりを告げ、また新たな始まりを告げるかのように見えて……。
私自身、競技かるたのことについては、ほとんど知りません。だからこそ、新が見せた競技かるたの側面を垣間見ただけで興味を持って、面白く見れていたんですよね。そのかるたという競技が一つのスポーツとして、成り立っていて、その頂点を目指すために努力して、その成果と経験が試合をするごとに得ていく物語が楽しいんですよね。
だけど、必死に頑張って、必死に努力して、どんな手を使ってでも勝ちたいという一心で、とにかくもがいてもがいてもがき苦しんだ先に、壁を乗り越えることが出来る。そういった喜び。それが今回の千早のA級へ昇級した達成感と喜びなんですよね。彼女が勝った時の笑顔は眩しくて、本当に楽しんでいるんだ、と感じられるからこそ、見ていて一緒に嬉しい気分になる。
で、前回までの小学生編では千早が新と出会い、かるたの面白さを感じて、自分の一つの道として、取り柄として、道筋を決めた彼女の転機。それと、チームとして競技かるたに望むことで得られる結束力とか団結力とか、「仲間」という輪の中にある友達以上の関係。それが絆となって、かるたの楽しみとの相乗効果となっていた。
だけど、別れを経験することで、もう一度、かるたに対して真正面から向きあう一対一の関係になり、チームとしての喜びを一度心にグッとしまっておかなければならなかった。それは新も太一も同じで、かるたの楽しさは知っているつもりだったけれど、年齢を重ねると、やっぱり違うことに目移りしてしまうんだと思います。
正直言いますと、確かに千早の生き方や生き様は格好いいと思えるようになってきましたけれど、かるただけに一生を注ぐ人生というのも、また寂しいものではないかと思えるんですよね。太一に対する先生の言葉の重みはわかるけれど、先生だって病院の先生という道にもそれていて、かるたが本命か仕事が本命かと問われれば、かなり迷うと思う。
そんな人生の終盤を迎えそうな妙齢の人でさえ、そう思ってしまうかも知れないのだから、太一みたいな青春を謳歌するような年齢で、かるた一筋で生きるというのはなんだかもったいないと感じてしまうんですよね。
他にもやりたいこと、できること、楽しいこと、色々あるかも知れない。だから、太一は未だに自分の道を模索している。小学生編の時にも触れましたけれど、やっぱり、それは悪いことではなくて、むしろ、将来を考えながら生きるのも堅実で後悔の少ない道ではあるんですよね。
だけど、太一の目からすれば、千早は小学生の頃から、もうすでにかるたで生きると決めた心の潔さと一心になれるものを見つけた輝きを見ていると、どうにも自分が間違っていることをしているようで、後ろめたい気持ちになってしまうんですよね。
だけど、彼女と一緒の道を歩く決心はつかない。きっと、太一の中では、かるたが好きか、かるたをしている千早が好きか、もしくは千早の性格が好きなのかわからない部分ではあると思うんですよね。だから、千早を見ている太一はかるたを好きではあるかも知れないけれど、サッカーの道を捨てて、千早とかるたの道を歩むことは人生を棒に振ってしまうかも知れない危険があるんですよね。千早みたいにそこまでかるたに執着できない。
かといって、千早と一緒にいられるからということで浮ついた気持ちでかるたに臨めば、それはそれで真剣に取り組んでいる千早にも、競技かるたをやっている人にも悪い気がする。そんな所が太一の真面目な部分なんですよね。千早もかるたに真面目だけど、それ以外は見えていない。絶対に周りを見ないくらいにかるたに打ち込んでいるのだから、一途すぎると言うか何というかw。
そんな千早の中学生は描かれないかと思いきや、一人で道場で練習する姿が描かれて泣きそうになりました。小学生編で大会が終われば別れることになる新と太一とチームとして最後の勝負を挑んだ場所。
そこで、中学の三年間を一人で努力するしかないのだから、孤独感との戦いに加えて、そう簡単には強くなれない実力と現実の壁とも戦わなくてはいけない。それにその道を諦めたとしても、誰も責める人はいない。むしろ、大好きな姉からは褒められるかも知れない。
だから、太一と会えたときの喜びが格別だったのが理解できました。もう、イチャイチャカップルか、と言わんばかりにスキンシップをとる千早を見たら、太一じゃなくても勘違いする。だけど、太一には彼女がいて。まあ、仕方ないよね。ご愁傷様です、太一。でも、可憐な姿で太一と一緒に帰宅している様子を見た彼女が何も責めないのは良い彼女だと思いますよ。
千早は怒っていたけどさw。でも、それを報告する相手がいない千早に泣けてきた。いや、きっと違うと思う。きちんと、綿谷以外の「わ行」でも友達らしき人は登録されているから、それが友達だと…。誰だ、ぼっちとかいうなや!
そして、この言葉につなげる千早さん、マジカッケー。かるた部は千早は真剣に作りたいと思っているし、そこに太一が加われば、また昔みたいに楽しい思い出が増えていく。そんなノリで言ったように見えても、きちんと太一のことを考えているんですよね。
太一がまたかるたに情熱を注げるような試合をして見せる。それだけ魅力あるかるたの競技の醍醐味を、このA級昇格試験で自ら見せてみせる。だから、不甲斐ない試合はしない。それだけ、自分を追い込む。追い込むことで自らの力を発揮する。もし、そんな自分を見ても、かるたの道を諦めてもいいと思えるなら、太一の選択を責めたりしない。
綺麗なお姉ちゃんの影にいつも隠していた自分の魅力はこれだ、というものを見つけた。お姉ちゃん以上に、一番美しく、一番輝いて見える自分の姿を自身で認めるほどに努力した。その努力の美しさとかるたという競技の華やかさを隠さず、すべてさらけ出すくらいに試合で魅せる。
そんな太一との駆け引きが出来る千早がやっぱり格好良くて、それだけで惚れてしまいそうになりました。もう、この笑顔を毎週見れれば、言うことないよ。だけど、だけど……。…コワイ……。
その繰り返しの中をただ延々と彷徨う。その繰り返しに居心地の良さを感じられるか。そんな競技かるたという世界の中での忍耐と苦難の物語。それもまた終わりを告げ、また新たな始まりを告げるかのように見えて……。
勝つことで活を得る
私自身、競技かるたのことについては、ほとんど知りません。だからこそ、新が見せた競技かるたの側面を垣間見ただけで興味を持って、面白く見れていたんですよね。そのかるたという競技が一つのスポーツとして、成り立っていて、その頂点を目指すために努力して、その成果と経験が試合をするごとに得ていく物語が楽しいんですよね。
だけど、必死に頑張って、必死に努力して、どんな手を使ってでも勝ちたいという一心で、とにかくもがいてもがいてもがき苦しんだ先に、壁を乗り越えることが出来る。そういった喜び。それが今回の千早のA級へ昇級した達成感と喜びなんですよね。彼女が勝った時の笑顔は眩しくて、本当に楽しんでいるんだ、と感じられるからこそ、見ていて一緒に嬉しい気分になる。
で、前回までの小学生編では千早が新と出会い、かるたの面白さを感じて、自分の一つの道として、取り柄として、道筋を決めた彼女の転機。それと、チームとして競技かるたに望むことで得られる結束力とか団結力とか、「仲間」という輪の中にある友達以上の関係。それが絆となって、かるたの楽しみとの相乗効果となっていた。
だけど、別れを経験することで、もう一度、かるたに対して真正面から向きあう一対一の関係になり、チームとしての喜びを一度心にグッとしまっておかなければならなかった。それは新も太一も同じで、かるたの楽しさは知っているつもりだったけれど、年齢を重ねると、やっぱり違うことに目移りしてしまうんだと思います。
千早を見た太一の選択は?
正直言いますと、確かに千早の生き方や生き様は格好いいと思えるようになってきましたけれど、かるただけに一生を注ぐ人生というのも、また寂しいものではないかと思えるんですよね。太一に対する先生の言葉の重みはわかるけれど、先生だって病院の先生という道にもそれていて、かるたが本命か仕事が本命かと問われれば、かなり迷うと思う。
そんな人生の終盤を迎えそうな妙齢の人でさえ、そう思ってしまうかも知れないのだから、太一みたいな青春を謳歌するような年齢で、かるた一筋で生きるというのはなんだかもったいないと感じてしまうんですよね。
他にもやりたいこと、できること、楽しいこと、色々あるかも知れない。だから、太一は未だに自分の道を模索している。小学生編の時にも触れましたけれど、やっぱり、それは悪いことではなくて、むしろ、将来を考えながら生きるのも堅実で後悔の少ない道ではあるんですよね。
だけど、太一の目からすれば、千早は小学生の頃から、もうすでにかるたで生きると決めた心の潔さと一心になれるものを見つけた輝きを見ていると、どうにも自分が間違っていることをしているようで、後ろめたい気持ちになってしまうんですよね。
だけど、彼女と一緒の道を歩く決心はつかない。きっと、太一の中では、かるたが好きか、かるたをしている千早が好きか、もしくは千早の性格が好きなのかわからない部分ではあると思うんですよね。だから、千早を見ている太一はかるたを好きではあるかも知れないけれど、サッカーの道を捨てて、千早とかるたの道を歩むことは人生を棒に振ってしまうかも知れない危険があるんですよね。千早みたいにそこまでかるたに執着できない。
かといって、千早と一緒にいられるからということで浮ついた気持ちでかるたに臨めば、それはそれで真剣に取り組んでいる千早にも、競技かるたをやっている人にも悪い気がする。そんな所が太一の真面目な部分なんですよね。千早もかるたに真面目だけど、それ以外は見えていない。絶対に周りを見ないくらいにかるたに打ち込んでいるのだから、一途すぎると言うか何というかw。
独りでの戦いとかるたへの愛
そんな千早の中学生は描かれないかと思いきや、一人で道場で練習する姿が描かれて泣きそうになりました。小学生編で大会が終われば別れることになる新と太一とチームとして最後の勝負を挑んだ場所。
そこで、中学の三年間を一人で努力するしかないのだから、孤独感との戦いに加えて、そう簡単には強くなれない実力と現実の壁とも戦わなくてはいけない。それにその道を諦めたとしても、誰も責める人はいない。むしろ、大好きな姉からは褒められるかも知れない。
だから、太一と会えたときの喜びが格別だったのが理解できました。もう、イチャイチャカップルか、と言わんばかりにスキンシップをとる千早を見たら、太一じゃなくても勘違いする。だけど、太一には彼女がいて。まあ、仕方ないよね。ご愁傷様です、太一。でも、可憐な姿で太一と一緒に帰宅している様子を見た彼女が何も責めないのは良い彼女だと思いますよ。
千早は怒っていたけどさw。でも、それを報告する相手がいない千早に泣けてきた。いや、きっと違うと思う。きちんと、綿谷以外の「わ行」でも友達らしき人は登録されているから、それが友達だと…。誰だ、ぼっちとかいうなや!
ごめんね、かるた部のこと無理言って…。でも、見てて。勝つから。見てて!
そして、この言葉につなげる千早さん、マジカッケー。かるた部は千早は真剣に作りたいと思っているし、そこに太一が加われば、また昔みたいに楽しい思い出が増えていく。そんなノリで言ったように見えても、きちんと太一のことを考えているんですよね。
太一がまたかるたに情熱を注げるような試合をして見せる。それだけ魅力あるかるたの競技の醍醐味を、このA級昇格試験で自ら見せてみせる。だから、不甲斐ない試合はしない。それだけ、自分を追い込む。追い込むことで自らの力を発揮する。もし、そんな自分を見ても、かるたの道を諦めてもいいと思えるなら、太一の選択を責めたりしない。
綺麗なお姉ちゃんの影にいつも隠していた自分の魅力はこれだ、というものを見つけた。お姉ちゃん以上に、一番美しく、一番輝いて見える自分の姿を自身で認めるほどに努力した。その努力の美しさとかるたという競技の華やかさを隠さず、すべてさらけ出すくらいに試合で魅せる。
そんな太一との駆け引きが出来る千早がやっぱり格好良くて、それだけで惚れてしまいそうになりました。もう、この笑顔を毎週見れれば、言うことないよ。だけど、だけど……。…コワイ……。
ちはやふる (1) (Be・Loveコミックス) 末次 由紀 by G-Tools |