つるこ姐さんに一生ついていきます。マジ、パないわ。このクールな瞳。そこにしびれる。あこがれるぅ。
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「隠れオタん家」のShirooさんが私の言いたいこと以上のことを全て言ってくれているので書くことがない。うむむ、これはこの作品に対する感想レベルのハードルが上がってきたぞ。
なので、Shirooさんの記事を読んだ前提で書き加えていきたい。つるこが他人の敷居に軽く踏み込める態度と、ゆきあつの女装の必要性とじんたんに対する劣等感について触れたいかな。
つるこの態度がクールでどこか温かさを残して、俯瞰できている、人の心を把握できている、何か人生を達観視している、そんな要素がたまらなく愛しいのですよ。第2話でのあなるの可愛さとはまたちょっと違うけど、冷めた態度ではなく、知的に見える態度。その違いが彼女の魅力だと思う。
他人のことなんかどうでもいい。自分のことさえどうでもいいのだから。そんな風に見えてしまう彼女の感情の起伏が見えないのは、めんまがいなくなったからか。それとも、元々の性格なのかはわからない。だけど、感情の起伏が周りから表現出来ていないように見えるだけで、心のなかでは喜怒哀楽が激しい子なんだと思う。
文化祭の出し物に対して「くだらないと思わない?」と聞く態度は、どこかデジャヴ。あぁ、あなるが内心ではそう思っていたと告白したシーンがあったなー。となると、ゆきあつやぽっぽも含めて、皆、今の生活に満足していないんですよね。それが社会に適応できているかいないかだけ。心の中に留めるか表面に出すか、その違い。
その中でもつるこはめんまのダメージが一番少ないように見えるのは気のせいだと思えるあの絵にはちょっぴり涙。さりげなく、バーベキューも協力して、ゆきあつにも近い存在にいるし、じんたんとも気軽に話せるし、あなるとは対等以上の関係を築けている。一応、今のメンバーじゃ、陰の暗躍者とも言うべき存在になりつつある。
それに超平和バスターズ再結束には不可欠な存在でもあり、超平和バスターズの意義を一番理解しているのかも知れない。
先程の、「くだらないと思わない?」と聞いておきながら、間髪入れずに「入れてくれる?」ですからね。彼女にとっては前口上に過ぎない。でも、この言葉って相手の敷居を低くして、文字通り、敷居をまたぐための彼女の言葉巧みなテクニックとでも言うべきだろうか。敵意も偏見も優越感も持っていないという提示。あくまで対等に相手を扱っている平等さ。
でも、いきなり「入れてくれる?」はないだろうと思った。仮にも長年あっていない者同士だったし、バーベキューで一緒に遊んだくらい。でも、「貴方と少しお話がしたいから入れてくれる?」は少し目線が低すぎるので彼女のキャラじゃないので、「長話になりそうだから、入れてもらってもいいかしら?」ぐらいにしておいた方が良かったと思ったり。
だけど、あまりに丁寧に相手と対応すると疎遠な感じを相手に抱かせてしまうかと思って、この言い方になったのかも知れない。この堂々とした態度が素晴らしいとすべきか。もう、「入れてくれる(わよね)?」みたいな脅しみたいなものかも。だけど、上から目線ではない。うぬぬ、策士だな、つるこ。
で、。中に入って、じんたんの話を鵜呑みにはできないけど、同意はするという話。現実的にありえないことは信じないけれど、その真意だけは汲み取る態度で彼と接するという意味でのお近づき。
その中で、料理のレシピの話が深すぎるッス、姐さん。料理を「分量とタイミング」さえ間違わなければいい。というくだりが出来上がった料理を人生に例えになっていて、この感覚をこの年で言えてしまう所に一人だけ精神面で成長しすぎた感じがしますね。
「分量」を実際にあった出来事に対する対処として、「タイミング」を人生における時間と言い換えれば、その人の人生がどこで間違えて、何が正しかったかを、過去の記憶とともに反省して考えることが出来る。それを次の料理で生かすだけ。
って、一度しかない人生で分量とタイミングを間違えたら、おしまいじゃんか。どうしたらいいんだってばよ。まあ、レシピ通りでなくても、それはそれで途中で手を加えたら、また違う料理になるのかも知れないね。要は料理は美味しければなんでもいいんだと思う。そう思っておこう。
で、ゆきあつの女装の必要性に話を移すと、心の隙間が埋まらなくて、じんたんみたいに登校拒否として現実逃避したいけど、自分の人生は狂わせたくない。だから、ある一定の時間だけは衝動的になって、一種の現実逃避として、どうしようもなくてやってしまった。
でも、めんまになる理由としては薄い。つるこみたいに絵で描くことで忘れられない人として思い出してあげればいいし、その時の写真を見て思い出すのも可。あなるみたいにゲームのシールで思い出すことも出来るだろう。
だから、ゆきあつは思い出すこと以上のことをしたかったんだと思いますよ。めんまはまだ生きている。最初は周りに見せることが第一ではなくて、ただ単に自分がめんまの代わりになりたかった。大切にしていた、めんまの命を失うくらいなら、自分の命を代償にして、なりきっているその時間だけはゆきあつが死んで、めんまが生きている。そんな隠れためんまへの思いの表れだったのだと思いますよ。
あの場所でめんまになるというのは、ぽっぽに見せるためでもなく、みんなから幽霊として生きているという裏付けでもなく、じんたんに対する対抗意識もあるけれど、めんまが死んだあの場所でめんまが生きていたという事実の誤認識を自分のためだけにしていたこと。
それがプラトニックな愛情か歪んだ愛情かはわからない。だけど、ゆきあつも含めて、みんな、めんまへの愛は相当のものだっと思える。そんな幸せ。それに満足して泣いているめんまを毎回見ることが、じんたんを通したみんなへの恩返しなのかも知れない。
「隠れオタん家」のShirooさんが私の言いたいこと以上のことを全て言ってくれているので書くことがない。うむむ、これはこの作品に対する感想レベルのハードルが上がってきたぞ。
なので、Shirooさんの記事を読んだ前提で書き加えていきたい。つるこが他人の敷居に軽く踏み込める態度と、ゆきあつの女装の必要性とじんたんに対する劣等感について触れたいかな。
「くだらないと思わない?」
つるこの態度がクールでどこか温かさを残して、俯瞰できている、人の心を把握できている、何か人生を達観視している、そんな要素がたまらなく愛しいのですよ。第2話でのあなるの可愛さとはまたちょっと違うけど、冷めた態度ではなく、知的に見える態度。その違いが彼女の魅力だと思う。
他人のことなんかどうでもいい。自分のことさえどうでもいいのだから。そんな風に見えてしまう彼女の感情の起伏が見えないのは、めんまがいなくなったからか。それとも、元々の性格なのかはわからない。だけど、感情の起伏が周りから表現出来ていないように見えるだけで、心のなかでは喜怒哀楽が激しい子なんだと思う。
文化祭の出し物に対して「くだらないと思わない?」と聞く態度は、どこかデジャヴ。あぁ、あなるが内心ではそう思っていたと告白したシーンがあったなー。となると、ゆきあつやぽっぽも含めて、皆、今の生活に満足していないんですよね。それが社会に適応できているかいないかだけ。心の中に留めるか表面に出すか、その違い。
その中でもつるこはめんまのダメージが一番少ないように見えるのは気のせいだと思えるあの絵にはちょっぴり涙。さりげなく、バーベキューも協力して、ゆきあつにも近い存在にいるし、じんたんとも気軽に話せるし、あなるとは対等以上の関係を築けている。一応、今のメンバーじゃ、陰の暗躍者とも言うべき存在になりつつある。
それに超平和バスターズ再結束には不可欠な存在でもあり、超平和バスターズの意義を一番理解しているのかも知れない。
「入れてくれる?」
先程の、「くだらないと思わない?」と聞いておきながら、間髪入れずに「入れてくれる?」ですからね。彼女にとっては前口上に過ぎない。でも、この言葉って相手の敷居を低くして、文字通り、敷居をまたぐための彼女の言葉巧みなテクニックとでも言うべきだろうか。敵意も偏見も優越感も持っていないという提示。あくまで対等に相手を扱っている平等さ。
でも、いきなり「入れてくれる?」はないだろうと思った。仮にも長年あっていない者同士だったし、バーベキューで一緒に遊んだくらい。でも、「貴方と少しお話がしたいから入れてくれる?」は少し目線が低すぎるので彼女のキャラじゃないので、「長話になりそうだから、入れてもらってもいいかしら?」ぐらいにしておいた方が良かったと思ったり。
だけど、あまりに丁寧に相手と対応すると疎遠な感じを相手に抱かせてしまうかと思って、この言い方になったのかも知れない。この堂々とした態度が素晴らしいとすべきか。もう、「入れてくれる(わよね)?」みたいな脅しみたいなものかも。だけど、上から目線ではない。うぬぬ、策士だな、つるこ。
で、。中に入って、じんたんの話を鵜呑みにはできないけど、同意はするという話。現実的にありえないことは信じないけれど、その真意だけは汲み取る態度で彼と接するという意味でのお近づき。
料理のレシピは人生のレシピ?
その中で、料理のレシピの話が深すぎるッス、姐さん。料理を「分量とタイミング」さえ間違わなければいい。というくだりが出来上がった料理を人生に例えになっていて、この感覚をこの年で言えてしまう所に一人だけ精神面で成長しすぎた感じがしますね。
「分量」を実際にあった出来事に対する対処として、「タイミング」を人生における時間と言い換えれば、その人の人生がどこで間違えて、何が正しかったかを、過去の記憶とともに反省して考えることが出来る。それを次の料理で生かすだけ。
って、一度しかない人生で分量とタイミングを間違えたら、おしまいじゃんか。どうしたらいいんだってばよ。まあ、レシピ通りでなくても、それはそれで途中で手を加えたら、また違う料理になるのかも知れないね。要は料理は美味しければなんでもいいんだと思う。そう思っておこう。
ゆきあつの女装の必要性
で、ゆきあつの女装の必要性に話を移すと、心の隙間が埋まらなくて、じんたんみたいに登校拒否として現実逃避したいけど、自分の人生は狂わせたくない。だから、ある一定の時間だけは衝動的になって、一種の現実逃避として、どうしようもなくてやってしまった。
でも、めんまになる理由としては薄い。つるこみたいに絵で描くことで忘れられない人として思い出してあげればいいし、その時の写真を見て思い出すのも可。あなるみたいにゲームのシールで思い出すことも出来るだろう。
だから、ゆきあつは思い出すこと以上のことをしたかったんだと思いますよ。めんまはまだ生きている。最初は周りに見せることが第一ではなくて、ただ単に自分がめんまの代わりになりたかった。大切にしていた、めんまの命を失うくらいなら、自分の命を代償にして、なりきっているその時間だけはゆきあつが死んで、めんまが生きている。そんな隠れためんまへの思いの表れだったのだと思いますよ。
あの場所でめんまになるというのは、ぽっぽに見せるためでもなく、みんなから幽霊として生きているという裏付けでもなく、じんたんに対する対抗意識もあるけれど、めんまが死んだあの場所でめんまが生きていたという事実の誤認識を自分のためだけにしていたこと。
それがプラトニックな愛情か歪んだ愛情かはわからない。だけど、ゆきあつも含めて、みんな、めんまへの愛は相当のものだっと思える。そんな幸せ。それに満足して泣いているめんまを毎回見ることが、じんたんを通したみんなへの恩返しなのかも知れない。
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