最後の最後に最高の展開となったこのシナリオには自然と涙が溢れ出してきます。
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最初からツカサとショタ陽人との関係がなんだかいいなぁ。こんな人思いのいい子がいつから、こんな変態になった?w
何はともあれ、ツカサが娘を愛しているというのはわかっていました。なら、何故一緒にイタリアにいかなかったのか気になったけれど、ちょっとこの部分だけはごり押しに感じました。
それ以外の部分は納得して少し感動しました。ショタ陽人は娘と暮らしたこの家を守ったといったけれど、そこに旦那と暮らしたこの家も加わっていると思うんですよね。
それぐらいにこの家での思い出を大切にして、大切にしすぎた結果、その大切さが周りには感じられなくなってしまったというのは不幸なことです。
洪水に関してはつくしの世界がなくなれば願望の時や、月子のトランプの時に床上浸水したことがつながって、その洪水によって何かを失うという二人の共通認識としてツカサのことを感じていたという意味ではやっぱり母親思いの二人だったように思います。
それに対するツカサの答えとして、二人の洋服を縫っている。しかも大量に。そこがポイントですよね。高校生になれば身長体重はそれほど変化しない。サイズを微調整すればいいだけかも知れない。
けど、小さい頃のつくしや月子は違う。すぐに大きくなって、すぐに着られなくなる。つまりはつくしと月子が着なければ、ツカサが縫うという行為自体が無駄なことで、それを頑張ってやる意味がなくなる。
1年や2年も経てば、きつくなっているだろうし、それ以上ならもう着られない。つくしや月子の身長とかはショタ陽人を見て見比べてその差異を目視で確認しているからピッタリサイズが作れるんだと思う。
つくしが怒って帰ったあとにショタ陽人への試着をさせたのはそのせいで、娘へのプレゼントとしての洋服が無駄になるくらいなら、せめて、ショタ陽人に着せてその姿を見て、自分は無駄な行為をしてはいなかったと自らを慰めるためでもあったんだろう。
せっかく、つくしと月子と会えたのにすぐに帰ってしまった。その洋服がもう陽の目をみることはない。どこかに寄付することも出来ただろうけど、その服は知らぬ誰かのために作ったのではなく、自分の娘であるつくしと月子のためなのだから、そんなことはしたくない。
だから、ヤケになってアルコールで酔ってその悲しい気分を吹きとばそうとしたんだと思う。けれど、酔いが覚めてしまってからはショタ陽人で満足せずにやっぱりつくしと月子への愛が嘘ではないと自らに言い聞かせるように無理をして洋服を縫っていたんだろう。それがイタリアに帰ってしまったつくしとまた会えるかどうかわからないために無駄になると知っていながら。
そして、そこからの展開が最高だった。今までは腑に落ちない点とかマンネリ化してしまったとか言っていたけれど、それが全部否定されるようなショタ陽人のお願い。全ての伏線がつながって、今までの陽人と周りとの関係に対しての見方が一変するような大どんでん返しでした。これには全く気付かなかっただけにやられたと感じました。ここまで上手い落とし方もないですよね。
ショタ陽人が何のためにツカサの側にいたのかとか、わざわざツカサの家で娘代わりを演じているように見せてツカサを慰めているだけとも違う、もっと切なる思い。ツカサにとっての幸せは娘代わりのショタ陽人で満足出来ないことを知っているから、知っているからこそずっと一緒にいようとした。
ツカサにとっては変なやつだと思ったぐらいでツカサの心の傷を癒そうとするのはわかるけれど、ショタ陽人に代わりは務まらないと思っただけにうざったい存在としてのショタ陽人がいるわけです。
そこから、つくしや月子にとっては今までツカサと過ごした年月はもう戻らないもので、イタリアに居た時には母親と関わり合う事はできなかった。もっと母親と一緒にいたかった。
その思いをショタ陽人は既に見抜いていたからこそ、こういう事態になって「泣き虫」だとつくしを責められるし、それが間違いだって罵ることだって出来る。何故今までツカサの側にいなかったんだって思いっきり怒ってやることだって出来る。
だけど、その行為に何の意味もないから。きっとそれは結果論で、過程は取り戻しようのない現実があるわけで、それを憂いているつくしを見たくもない。女の子を泣かせたくないからね。
だからこそ、その行為は省いて、つくしと月子にショタ陽人がツカサと過ごした思い出を含めた全てを与えられる。それは献身的とか犠牲的とかそんなんじゃなく、純粋にツカサを思っているからこそ、その思いをつくしや月子にもわかってもらいたい我儘でもあるんですよね。
こんなに苦しんでいる女の子(と言っても娘持ちだけど)のツカサが一番幸せだと感じられるのは、やっぱりずっと一緒にいたかった娘から思われることだし、娘もそんなツカサを認めて一緒にいたかったという過去形にして終わるのではなく、今も昔も一緒にいた過去進行形としてのツカサとの関係。
それを大事にしていることがわかっていたショタ陽人が最高でした。全ては計算づくのように見えるけれど、陽人がここにつくしや月子を連れて来なければそれは実行出来なかったわけで、運に左右された部分が強いと思う。
だけど、つくしや月子がこの場所に帰ってきて、ツカサと一緒にいたいと思ったなら、その思い出を渡すだけという割り切り方をしていたんですよね。ツカサが病気とはいえ、その様子を見てもイタリアに帰ってしまうような女の子だったら、見過ごしていたと思います。
泣いている女の子のために何かしてあげたいというショタ陽人の女の子限定はここにあったわけで、別にツカサの子が女の子じゃなくても同じようにしてあげた。
それはツカサも女の子ですからね。一人で残された現実はどうにかしたいと思っていたという部分があったし、どうしようもならない子供としての辛さが大きかったのだと思います。
だからこそ、苦しさや悔しさや嬉しさやそういった今までの感情と思い出を全てツカサの娘であるつくしと月子にわかってもらおうとしたショタ陽人の優しさに惚れました。小豆梓から建前を取り返した時の陽人も格好良かったけれど、それ以上にこのショタ陽人が格好良く見えました。うーん、素晴らしいです。
そこから、現代に戻って、陽人が知っていることと知らないことの区別。楽しい現実が思い出せない思い出へと変わる、その繰り返し。
この辛さの証明がここに来てわかったという今までの陽人の言動に対して段々と理解しそのことを思い出すたびにそれがこういう理由だったのだと思うとエロ要素とかコメディ要素も含めて全てがシリアスに見えてきます。
その中でも重要なこととしてずっと放置されてきて、これはもう伏線じゃなくてただ月子の中で眠り続けるだけで、陽人は薄情な人という結論で落ち着いてせっかく良いエピソードだったのに勿体ないなー、といつも呟き続けていたことをここで回収するなんて本当に最後の最後を見るまで物語というのはわからないですよね。
だからこそ、この作品は面白いとようやく断言することが出来ました。やっぱり月子と陽人の中学生時代の出会いがこの作品の根本的な部分だと思っていて、建前を取り戻すとか、笑わない月子とかはほぼ解決されて、それは一つの物語としてきちんと終わっているからこそ、楽しかったんですよね。
なのに、この中学生時代に会っていたという月子の思い出を放送する必要があるのかというぐらいに蛇足に見えてしまった。逆にそれが功を奏してしまったからこそ、悔しいくらいに術中にハマッてしまった感じです。
ああ、この物語として微妙とか言っていた頃の私の記憶を思い出として消して欲しいくらいに恥ずかしいw。原作既読者からすれば、ツッコミたい気持ちが一杯あっただろうに黙っていてくれて逆に嬉しかったです。
これ以上のカタルシスを得られると思っていないですからね。正直、MF文庫Jをなめていました。きっとこんな緻密なシナリオよりもエロ要素がどれだけあるかに注目しているだけなんだろうってことで見ていた自分が馬鹿らしく思えてくる。
そして、ハーレムエンドへと。月子との関係は進展したけれど、それはそれ、これはこれ。そんな感じで思い出はなくしてしまう陽人と表情をなくしてしまう月子の二人がいて、それに縛られた未来があるわけで、それは不幸とは思わず、誰かを幸せにするために誰をも幸せにする。
それは陽人と月子自身の幸せにもつながっていくのだから、きっとそういう呪いみたいな不幸なんて簡単に幸せに変換できるほどに人間は強いと猫神に対してのアンサーだと思います。
思い出としてツカサや月子のことは忘れていた陽人だったし、それは悲しい出来事でしかない。泣いてもいいと思うくらいにそれは一生抱え込まないといけない問題。
同じように月子にとっても陽人が中学生時代の仮面を被ってアドバイスをもらった時のことを覚えていない寂しさはあるし、いつまでも表情が変わらないのはいつかは不便に感じるかもしれない。
だけど、陽人と月子のお互いが真実を知っているからこそ、お互いを支えあって、その不幸は不幸ではないと言い切れる。陽人と月子の中学生時代の思い出は理由があるからこそ割りきって、楽しい現在進行形の記憶として積み重ねていけばいいだけだし、それに対して楽観的に過ごせる精神的に強い陽人がいるわけです。
月子も陽人が表情のことを知っていて、そんな月子であっても変わらない感情を抱いているわけで、そこはぶれないという意味では一番大切であるということで月子にとっての未来は明るいとも思うんですよね。
まあ、梓とのキスはどう釈明するのか見ものですが、原作の方で見るしかなさそうですね。そんな楽しいことが続いていくんだろうという終わり方ではツカサが亡くなって悲しい現実を今回目の当たりにすると思っていただけに、このクライマックスからのエンドまでの流れが完璧でした。
もう一度見直してみたいと思うほどに色々気付かされたお話で、上手くまとめられたという意味ではMF文庫J作品の中では一番好きになりつつあります。
最初からツカサとショタ陽人との関係がなんだかいいなぁ。こんな人思いのいい子がいつから、こんな変態になった?w
ツカサがここにいる理由
何はともあれ、ツカサが娘を愛しているというのはわかっていました。なら、何故一緒にイタリアにいかなかったのか気になったけれど、ちょっとこの部分だけはごり押しに感じました。
それ以外の部分は納得して少し感動しました。ショタ陽人は娘と暮らしたこの家を守ったといったけれど、そこに旦那と暮らしたこの家も加わっていると思うんですよね。
それぐらいにこの家での思い出を大切にして、大切にしすぎた結果、その大切さが周りには感じられなくなってしまったというのは不幸なことです。
洪水に関してはつくしの世界がなくなれば願望の時や、月子のトランプの時に床上浸水したことがつながって、その洪水によって何かを失うという二人の共通認識としてツカサのことを感じていたという意味ではやっぱり母親思いの二人だったように思います。
それに対するツカサの答えとして、二人の洋服を縫っている。しかも大量に。そこがポイントですよね。高校生になれば身長体重はそれほど変化しない。サイズを微調整すればいいだけかも知れない。
けど、小さい頃のつくしや月子は違う。すぐに大きくなって、すぐに着られなくなる。つまりはつくしと月子が着なければ、ツカサが縫うという行為自体が無駄なことで、それを頑張ってやる意味がなくなる。
1年や2年も経てば、きつくなっているだろうし、それ以上ならもう着られない。つくしや月子の身長とかはショタ陽人を見て見比べてその差異を目視で確認しているからピッタリサイズが作れるんだと思う。
つくしが怒って帰ったあとにショタ陽人への試着をさせたのはそのせいで、娘へのプレゼントとしての洋服が無駄になるくらいなら、せめて、ショタ陽人に着せてその姿を見て、自分は無駄な行為をしてはいなかったと自らを慰めるためでもあったんだろう。
せっかく、つくしと月子と会えたのにすぐに帰ってしまった。その洋服がもう陽の目をみることはない。どこかに寄付することも出来ただろうけど、その服は知らぬ誰かのために作ったのではなく、自分の娘であるつくしと月子のためなのだから、そんなことはしたくない。
だから、ヤケになってアルコールで酔ってその悲しい気分を吹きとばそうとしたんだと思う。けれど、酔いが覚めてしまってからはショタ陽人で満足せずにやっぱりつくしと月子への愛が嘘ではないと自らに言い聞かせるように無理をして洋服を縫っていたんだろう。それがイタリアに帰ってしまったつくしとまた会えるかどうかわからないために無駄になると知っていながら。
思い出を全部つくしと月子に……
そして、そこからの展開が最高だった。今までは腑に落ちない点とかマンネリ化してしまったとか言っていたけれど、それが全部否定されるようなショタ陽人のお願い。全ての伏線がつながって、今までの陽人と周りとの関係に対しての見方が一変するような大どんでん返しでした。これには全く気付かなかっただけにやられたと感じました。ここまで上手い落とし方もないですよね。
ショタ陽人が何のためにツカサの側にいたのかとか、わざわざツカサの家で娘代わりを演じているように見せてツカサを慰めているだけとも違う、もっと切なる思い。ツカサにとっての幸せは娘代わりのショタ陽人で満足出来ないことを知っているから、知っているからこそずっと一緒にいようとした。
ツカサにとっては変なやつだと思ったぐらいでツカサの心の傷を癒そうとするのはわかるけれど、ショタ陽人に代わりは務まらないと思っただけにうざったい存在としてのショタ陽人がいるわけです。
そこから、つくしや月子にとっては今までツカサと過ごした年月はもう戻らないもので、イタリアに居た時には母親と関わり合う事はできなかった。もっと母親と一緒にいたかった。
その思いをショタ陽人は既に見抜いていたからこそ、こういう事態になって「泣き虫」だとつくしを責められるし、それが間違いだって罵ることだって出来る。何故今までツカサの側にいなかったんだって思いっきり怒ってやることだって出来る。
だけど、その行為に何の意味もないから。きっとそれは結果論で、過程は取り戻しようのない現実があるわけで、それを憂いているつくしを見たくもない。女の子を泣かせたくないからね。
だからこそ、その行為は省いて、つくしと月子にショタ陽人がツカサと過ごした思い出を含めた全てを与えられる。それは献身的とか犠牲的とかそんなんじゃなく、純粋にツカサを思っているからこそ、その思いをつくしや月子にもわかってもらいたい我儘でもあるんですよね。
こんなに苦しんでいる女の子(と言っても娘持ちだけど)のツカサが一番幸せだと感じられるのは、やっぱりずっと一緒にいたかった娘から思われることだし、娘もそんなツカサを認めて一緒にいたかったという過去形にして終わるのではなく、今も昔も一緒にいた過去進行形としてのツカサとの関係。
それを大事にしていることがわかっていたショタ陽人が最高でした。全ては計算づくのように見えるけれど、陽人がここにつくしや月子を連れて来なければそれは実行出来なかったわけで、運に左右された部分が強いと思う。
だけど、つくしや月子がこの場所に帰ってきて、ツカサと一緒にいたいと思ったなら、その思い出を渡すだけという割り切り方をしていたんですよね。ツカサが病気とはいえ、その様子を見てもイタリアに帰ってしまうような女の子だったら、見過ごしていたと思います。
泣いている女の子のために何かしてあげたいというショタ陽人の女の子限定はここにあったわけで、別にツカサの子が女の子じゃなくても同じようにしてあげた。
それはツカサも女の子ですからね。一人で残された現実はどうにかしたいと思っていたという部分があったし、どうしようもならない子供としての辛さが大きかったのだと思います。
だからこそ、苦しさや悔しさや嬉しさやそういった今までの感情と思い出を全てツカサの娘であるつくしと月子にわかってもらおうとしたショタ陽人の優しさに惚れました。小豆梓から建前を取り返した時の陽人も格好良かったけれど、それ以上にこのショタ陽人が格好良く見えました。うーん、素晴らしいです。
思い出は取り返せない不幸と付き合い……
そこから、現代に戻って、陽人が知っていることと知らないことの区別。楽しい現実が思い出せない思い出へと変わる、その繰り返し。
この辛さの証明がここに来てわかったという今までの陽人の言動に対して段々と理解しそのことを思い出すたびにそれがこういう理由だったのだと思うとエロ要素とかコメディ要素も含めて全てがシリアスに見えてきます。
その中でも重要なこととしてずっと放置されてきて、これはもう伏線じゃなくてただ月子の中で眠り続けるだけで、陽人は薄情な人という結論で落ち着いてせっかく良いエピソードだったのに勿体ないなー、といつも呟き続けていたことをここで回収するなんて本当に最後の最後を見るまで物語というのはわからないですよね。
だからこそ、この作品は面白いとようやく断言することが出来ました。やっぱり月子と陽人の中学生時代の出会いがこの作品の根本的な部分だと思っていて、建前を取り戻すとか、笑わない月子とかはほぼ解決されて、それは一つの物語としてきちんと終わっているからこそ、楽しかったんですよね。
なのに、この中学生時代に会っていたという月子の思い出を放送する必要があるのかというぐらいに蛇足に見えてしまった。逆にそれが功を奏してしまったからこそ、悔しいくらいに術中にハマッてしまった感じです。
ああ、この物語として微妙とか言っていた頃の私の記憶を思い出として消して欲しいくらいに恥ずかしいw。原作既読者からすれば、ツッコミたい気持ちが一杯あっただろうに黙っていてくれて逆に嬉しかったです。
これ以上のカタルシスを得られると思っていないですからね。正直、MF文庫Jをなめていました。きっとこんな緻密なシナリオよりもエロ要素がどれだけあるかに注目しているだけなんだろうってことで見ていた自分が馬鹿らしく思えてくる。
そして、ハーレムエンドへと。月子との関係は進展したけれど、それはそれ、これはこれ。そんな感じで思い出はなくしてしまう陽人と表情をなくしてしまう月子の二人がいて、それに縛られた未来があるわけで、それは不幸とは思わず、誰かを幸せにするために誰をも幸せにする。
それは陽人と月子自身の幸せにもつながっていくのだから、きっとそういう呪いみたいな不幸なんて簡単に幸せに変換できるほどに人間は強いと猫神に対してのアンサーだと思います。
思い出としてツカサや月子のことは忘れていた陽人だったし、それは悲しい出来事でしかない。泣いてもいいと思うくらいにそれは一生抱え込まないといけない問題。
同じように月子にとっても陽人が中学生時代の仮面を被ってアドバイスをもらった時のことを覚えていない寂しさはあるし、いつまでも表情が変わらないのはいつかは不便に感じるかもしれない。
だけど、陽人と月子のお互いが真実を知っているからこそ、お互いを支えあって、その不幸は不幸ではないと言い切れる。陽人と月子の中学生時代の思い出は理由があるからこそ割りきって、楽しい現在進行形の記憶として積み重ねていけばいいだけだし、それに対して楽観的に過ごせる精神的に強い陽人がいるわけです。
月子も陽人が表情のことを知っていて、そんな月子であっても変わらない感情を抱いているわけで、そこはぶれないという意味では一番大切であるということで月子にとっての未来は明るいとも思うんですよね。
まあ、梓とのキスはどう釈明するのか見ものですが、原作の方で見るしかなさそうですね。そんな楽しいことが続いていくんだろうという終わり方ではツカサが亡くなって悲しい現実を今回目の当たりにすると思っていただけに、このクライマックスからのエンドまでの流れが完璧でした。
もう一度見直してみたいと思うほどに色々気付かされたお話で、上手くまとめられたという意味ではMF文庫J作品の中では一番好きになりつつあります。