ハナヤマタ0483

パーッとパーッと晴れやかに、咲かせましょ、花(ハナ)のように。


休止している今ですが、ちょっとこの作品に出会ってしまった今書かなきゃいけない衝動を抑え切れませんでした。もうOPからやられました。晴れやかで華やかですよね。光の当て方とか大好きです。ただ単に光が当てられているだけで、最初はキャラの立体感を出すために斜光を使っているのかと思ったのですが、一貫して明るいので違うようです。

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例えば、「よさこい部」の掛け軸に屋上からの光が差し込むシーンを何度か映していますし、サビの踊っている一連のシーンで、夜の海は花火が照らし、夜の神社では月が照らし、屋上からは夕陽が差し込み、夜の屋上ではライトが当たり、サビの最後では絵馬の中でハゲのおっさんが照らすという感じ(これは確証がないw)で、彼女たちが頑張っている姿は眩しくて輝いて見えるように感じられたり。

観衆もいない中で(文字通り)スポットライトが当たっているというのは少し寂しさを感じてしまうけれど、彼女たちの笑顔が絶えない所にやっぱり人が見てどうかというよりも自分自身がどう感じるかだなー、とかまだ初回以降見ていないで下手に勘ぐってしまったり。スミマセン、こじつけですね。心が晴れやかになればいいです。「こころぴょんぴょん」に続いて、「パーッとパーッと」も流行らないかなぁ。使い道がないけどw。

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そんなことはどうでもいいので、パーッとパーッと先行きましょ。冒頭の幻想的な雰囲気のシャルウイダンスから現実に戻って一人の少女の悩みへ。頭脳明晰・眉目秀麗ときて、音楽だってなんだって出来て、みんなにも好かれる女の子が、「わたし関谷なる」。おっーい、自画自賛だったのかよ、とツッコミそうになる出だしは最高でした。

ヤヤに対するイメージがわかると同時に、憧れの対象がそばにいてその子がなるにとって完璧な女の子に見える。目標とすべき人間が近くにいて、それが自分には難しいとわかる心境だけでも辛い。

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けれど、そこに劣等感と嫉妬が渦巻いているのではなく、ただいいなぁぐらいに収まっているのに好感がもてます。ヤヤたちが演奏しているときも目が輝いて見えて、素直に「キラキラしていた」って言える。「普通の女の子」というよりも「純粋な女の子」ですね。

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でも、そこからなるの心の闇をえぐってくるヤヤがなにげに意地悪に見えるけど、なるの観察眼なら、ヤヤが気遣う言葉をかけたり、言葉を柔らかくしても勘繰られそうだし、普通にしていればいいじゃん的な。そこら辺はさばさばした性格っぽいから仕方ない。

悩みがない人間なんていないわけだし、彼女もオーディションを受けるために必死に足掻いている最中なわけで、そこら辺は目標に向けて頑張っている人間とそうでない人間との差で分けられると、やっぱり悲しい部分がある。

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だから、なるとしてはやりたい目標、なんでもいいわけじゃない、ヤヤの言葉を借りれば自分の「したいこと」じゃないといけない。その「したいこと」は何だろう?と考えてしまう所が悩みすぎでなんとも不器用な感じがして応援したくなる。きっとそんな所から完璧でない。そういう意味での二人の対比は良かったです。どちらも間違っていないのに間違っているような感覚。

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そして、なるの今を形成する小さいころの映画館の話へ。いつか誰かが違う世界へ連れだしてくれる。うーん、この世界がもし現実的な世界だとすれば本当に絵本の中の世界に行きたいというヤヤに言われたようにメルヘンになってしまうのだけど、きっとなるの考えている世界は、今自分が見えている現実とは違う楽しい現実のことだと思う。

その楽しい現実を実現出来ないなるだからこそ、それを知っている人間に教えてもらうしかない。そんな厳しい現実に挫折しそうななるの心境を考えると何だか胸が苦しくなります。中学生でここまで追い詰められるとはね。

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そこから、ハナとの出逢いへ。これがもし男だったら、ボーイミーツガールで恋愛ものになりそうだけど、きらら系でそれは許さんとばかりに女の子で助かりました。なるがハナのことを幻想的と思った部分は踊っている最中に言われていましたが、近くにいないとそれは感じないわけで、遠目でわかるとしたら金髪で着物ぐらい。

そうなると、普通に出逢っただけだと外国人の女の子が花火を見に神社に来たんだと感じるだけなので、きっと驚異的な跳躍力を持たせたんだと思うのでそこは仕方ないっす。私もOPがなければ、ヨウセイサンダトオモッタナンテイエナイ。

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注目はなるの感じた部分で、不思議な世界へ連れてってくれるというハナの言葉に喜びを感じたのもつかの間、悲しいことにハナの方をヒロインだと思ってしまった。魔法使いはハナ、ヒロインはなる。

そう感じてここから自分が主役の物語が始まるんだと願いはあったけれど、ヒロインを引き立てる役の方がヒロインっぽい。やっぱりなるの心にはもしかしたらという夢見る気持ちとそんなことはありえないという現実的な気持ちがあって、後者の方が勝ってしまうところに夢への逃避を避けてしまうのかも。

だからこそ、「踊り」に対して恥ずかしさを感じて敏感になってしまう。物語のヒロインになったら妖精さんがきっと踊りでも歌でもなんでも助けてくれるとかそういった思考から切り替えて現実に。

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そこからハナの「迎えに行きます」から転校してくる流れにも、なるは運命的な出逢いと感じなかったわけで、逆に付きまとわれるのを嫌がるわけで。ヒロインはハナなわけで、きっとそこになるは脇役としてしか登場しないわけで。それ以上に違う世界へ誘ってくれるハナには希望は託せなくなって諦めているなるも、また違う出逢いを探してしまってハナを避けるのもなんとなくわかる。

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それと文芸部の扉をノックできなかった自分を責めるなる。ヤヤの「せっかく何もやってない」が拍車をかける。文芸部に入っていたら何か変わったと思うわけだけど、中学三年になっていないわけだから今だって入ろうと思えば入れるわけで。

それでも図書室で一人本を読むことに留めているのは、今でも勇気がないとか、今更きっかけもなくいきなり入って何言われるかわからないとか、なるの思っている通り今までと変わらない生活がいいのか、変わりたいけれど今よりも良い生活という安心感が欲しい。良くない生活なら今の方がマシというのもわかる気がする。

けど、そこには挑戦してみることに恐れを感じている自分がいて、何もかも今一歩踏み出せなくなっている。物語の中なら失敗もリセット出来るけれど、現実はそうはいかない。きっと自分には勇気も辛抱も才能も何もかもがない。それなら誰かが……となるわけですね。

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そして、そこからハナの努力に気付くなるまでの流れが最高でした。図書室で一度、自分でなくても他をあたって、とハナに頼むなるでしたが、ハナがなると踊って楽しかったという言葉にシンデレラと同じヒロインを想像したなるがいそうなわけです。それでも恥ずかしいものは恥ずかしいわけで諦めの早いなるがいるわけです。

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それに対してハナは、よさこい勧誘に誰も振り向かなくても、なんとかして現状を打破するために努力をし続けるわけです。張り紙を貼るぐらいに粘り強く、放課後の勧誘活動も頑張って、そして、18時の屋上で待つぐらいに忍耐強く毎日を送っている。

その諦めの悪さになるはヤヤと同じように呆れるくらいでも良かったんですが、自分の境遇と重ねてしまった。ハナは魔法使いでないのはわかっていたけれど、ヒロインでもなかった。みすぼらしくはないけれど何の才能もない「普通の女の子」だったんだって。それでも努力して違う世界を自らの力で切り開こうとしている。

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そんなハナに、なるは鳴子を返そうと言い訳しながらも頑張りを続ける理由を聞いてみたかった。それにハナは応えて、小さいころのエピソードを語るわけですが、ここで涙腺が緩みましたね。

なるが小さいころに見た映画館のヒロインのように輝きたいという話と、ハナの小さいころに見たよさこいを踊っていた人たちのように輝きたいという気持ちのシンクロ。だけど、そこには差があって、ハナは自分から動き出している。「したいこと」がある。

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今の生活が心地良いなら待っているなるの方向もありなんですが、なるは「したいこと」を見つけ出そうとしている。だとすると、「したいこと」があるハナの方がいいに決まっているわけで、そうなると、もうなるの考えでは手遅れなのか考えてしまう。きっと「空っぽ」のままだと。

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そんななるにハナは「空っぽ」の中に「楽しいも好きも苦しいも」詰め込んでいける。まだなるには可能性が一杯残されているわけで、そこには頑張れば何でも入れられる。楽しくて苦しいも、それまた楽しくて好きにつながっていける。そんな未来に向かって輝ける日々をこれからも送っていけると救いの手を差し伸べるハナがまた最高でした。