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原作者の渡航脚本という番外編から見る、材木座の必然性。


番外編ということで、前回の実質的な物語の最終回と違って、軽く見られますね。軽く見るといったって作品を軽く見ているわけじゃなく、重く見ているという言葉の綾というものです。

普通にこれを本編の間に入れてもおかしくないくらいに面白かった。本編ではとことん”ぼっち”についてシリアスに最後まで貫きたかったというこだわりも感じられますからね。

八幡の独白が最後になる寂しさ……


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まずは八幡の独白。ああ、これって久しぶりだな。もう、この言い訳がましくも正論に見える愚痴も聞けなくなるのか。そう思うと悲しく感じられます。

こちらも言葉の綾みたいなもので、参加することに意義があるなら、参加しないという勢力に参加することもそりゃ意義があるわけです。経験も経験しないことを経験するということでそれはそれで特別なことを感じられるわけです。

人と同じことを強いられてそれを甘んじる必要はないわけで、八幡の言う通り、何もしないことにも意味があったり、人生で一度きりしかないこの年での思い出として何を選ぶかもそれで意義を見つけ出すわけです。

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ただ将来、普通の人が歩んできた道を歩まないことで話題についていけないという秘密の共有ならぬ経験の共有が出来ないわけで、将来を考えると人と同じ事をするということに意義がある。

そういう意味で参加することに意義があるとした方が納得がいくという理論もありはありで、それを理解した上で参加しないイバラの道を歩むことにも意義があるわけです。

そして、参加しても何も経験しなければ意義なんて存在しないわけで、その選択の自由を奪っている参加意義の強要に対して異議を唱える八幡が格好よく見えるけど、実際は面倒なことはやりたくないという一点に終結するような気がします。

やっぱり材木座はうざかったw


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で、話は進んで体育祭になるわけで、まさかの材木座が主役級の活躍をするとは思わなかった。ここにきて本領発揮。材木座ここにあり。まあ、正直暑苦しくてうざいだけでしたね。やっぱり材木座いらなかったわ(爆。

なんていうのか最終回の前回もそうだけど八幡が”ぼっち”として、その過ごし方に対して悲観的に前向きなように、それはそれでありだと思えます。

心の中では応援したくなるし、マイナスの感情をプラスに変えていく力があるというか、経験が物語って最終的に同情を呼び、それが雪乃に理解されることで最高のカタルシスを得られる幸せを感じて終わったわけです。

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そんな八幡に対しての最終回と今回の材木座です。八幡より辛い人生を送ってきて、それを悔やんで悔やんで何が悪かったのかなんてわからず、ただ環境を憎んでそれを力に変えて世界が悪いならば自分が変わるまでよ。くっ……何が悪かったのか。

変われば変わるほど、周囲という世界が悪くなっていく。これが目には見えない闇の力というものか。それならその力に屈しない光の力を手に入れるまでだ。熱く燃え上がり萌え盛って人とは違う何かを手に入れてやろうではないか。我が主役、世界は我を中心にして周っているのだ、フゥーハハハ。

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みたいな感じで、何だか材木座が主役級になると憐憫にも似た痛い感情が心を渦巻き、何が悪いのかわかってきた気がします。八幡なら全ての経験を考えに考え尽くして全てに対して対策を講じる。

それは周囲を変えることでもあり、自らがその場から消えるという選択肢で”ぼっち”を自ら選び傷つかないようにするも、それは雪乃や結衣といった奉仕部の面々や奉仕部を頼った人へのために尽くすからこそ八幡を応援したくなってしまうんですよね。

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逆にただの僻みだけでとにかく私怨で葉山という現実でも体育祭でも敵である存在を倒し、我らの劣等感を払拭しようではないかという姿勢ってなんだか格好悪いんですよねw。

そういう意味では八幡の格好良さって知らずに感じていたんだなぁ、とこの番外編を見て改めて感じました。八幡にも卑屈な思いはあるし、葉山に負けたくないという思いはあるけれど、バックは既に奉仕部にあるからこそ、普通の”ぼっち”としての感じ方とはまた一味違うんですよね。

まあ、棒倒しというスポーツマンシップに則らない精神でいることで、意義のある作戦で依頼者を助け自らは囮になり材木座に全てを託すという最初の”ぼっち”八幡の思考からは考えられないことをやってのけるわけです。

当たり前だけど反則は反則です


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卑怯で卑劣で最低な行為であることには変わりないのですが、なんだかそれもありに思えてくるから不思議ですよね。しかも、めぐり先輩の依頼は勝つことも大事だけど、体育祭が盛り上がることが一番だと思うんですよね。

だからこそ、棒倒しでの赤組の逆転劇は素晴らしい体育祭に終わるはずが、依頼した奉仕部員が行ったまさかの反則負けで最後の体育祭の幕を閉じるという後味の悪さというのはなんというか、頼んで失敗だったというか成功だったというか微妙な所なんですよね。

毎回ハッピーエンドではなく、バッドエンドとハッピーエンドの中間で視聴者の感じ方次第の終わり方をしているからこそ、それがこの作品っぽくて何だか次第に笑えてきちゃいました。

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とりあえず、材木座って奉仕部の一員でもないし、めぐり先輩から依頼されてもいないし、面倒なことをわざわざやって衣装とかにもこだわりもって盛り上げようと準備し、棒倒しでは熱演で皆を鼓舞しながらやる気を出させ、恥ずかしい(本人は恥ずかしいと思っていないだろうけどw)言動で敵を惑わせ、八幡に敵が釣られている間に一人の力で赤組の逆転勝利へと導くという材木座にとって最高のストーリーが出来上がっているわけですよ。

それこそ、この作品で唯一材木座が輝いた瞬間で、それも人生に一度あるかないかというぐらいに周りから大きく注目を浴びて”ぼっち”としての個人的恨みを解消したようにも思えた体育祭が材木座にとっての依頼主であり信頼の置けるパートナーの八幡が全てをぶち壊すという展開がまた材木座の格好悪さを増していくわけです。

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本人は本気で頑張って正々堂々(八幡から作戦は聞いていただろうからそれは微妙だけど)と戦い抜いた結果が反則負けの共犯者となって周囲からの冷めた目線で見られることは必至なわけです。

八幡は雪乃たちが罵ってそばにいてくれるけど、材木座は体育祭が終わった後も”ぼっち”から体育祭で輝いた男に変わるのではなく暑苦しくずる賢いような真似をする男と見られると思うと、最後の最後で材木座の株を落として終わりとか、材木座の不遇ぶりに悲しさを覚えるけれど、それはそれでいいよね、材木座だし。

で、終われるのが今回のキーポイントで八幡と材木座の比較からの”ぼっち”の辛さという多方面からの視点があって、そういう意味では面白く終わりました。

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まあ、八幡も反則負けにしないためにも、得意の正論とごまかしと挙動不審をもって、怪我をしていたアピールとか、それこそステルスになって監視の目を逃れることくらいはやって欲しかったかも。

やってこの結果なら仕方ないけれど、八幡のことだから別にそれで八幡自身は辛い思いはするわけじゃないし、作戦が見破られたなら割り切ろうじゃないかという部分でも少し格好悪さが見える。

一応、意義はあった


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そして、ここから最初の八幡の独白につながるわけで、参加することに意義があるのなら参加しない勢力にも意義があるわけで、なにはともあれ、参加してもしなくても、体育祭が盛り上がっても盛り上がらなくても意義を見出だせるわけです。

しかも、盛り上がったかどうかなんて主観でしかない。そこは依頼主であるめぐり先輩が反則負けという結果とはいえ、そこに意義を見出せればそれはそれで八幡たちは依頼を全うしたことになる。

まさかの最後で赤組の逆転劇。しかし、反則でその取り消しで番狂わせが起きたという意味で普通味わえない特別な結末を迎えられたわけですからね。大いに盛り上がっただろうよ。それがめぐり先輩が望んだものでなくてもね。そういう意味ではあり得ないということがあり得ないという日常でのビッグサプライズとして経験できたことに意義を見出して幸せな気分に、、、なれないよねw。