やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 - アニメ画像012

鶴見の問題と”ぼっち”の問題とその他諸々の問題が解決されそうな糸口を見つけられるかもしれないという曖昧な結末だけど何かスッキリしたのはなぜだろう?


おお、八幡みたいに驚いた自分がいる。鶴見の問題は終わって、また新たなスタートがあると思ったら、朝チュンだったよ。男と朝チュンという言葉で書くとなんともアレな感じの人になってしまうけれど、彩加だったらアリだと思えてしまう八幡の言動。いや、待て、男だぞ。

八幡の朝チュンは男と……


やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 - アニメ画像000
と、思わなくても良いくらいの私には葉山と同じ普通の美男子に見えてしまうのだけど、八幡フィルターで見ると彩加はビジュアル的に理想の女性像になるという認識で見ないといけない。そういう意味では前回の平塚先生からもらったメールと彩加からもらったメールで見比べてみると面白い。

これを平塚先生が見ていたら、確実に八幡は抹殺されていますね。平塚先生もまさか男に負けるとは思うまい。好意でいえば、平塚先生→八幡→彩加という両思いになってはいけない片思いがあるというリアル。

そこに結衣と雪乃がいないもんな。そういう意味では既に八幡の青春ラブコメは間違っている。平塚先生のメールの何が悪いかという部分では前回述べた通りだけど、もう何度もアプローチしてくるからありがたみがない。それに反し、彩加は短い文章で簡単な文面。だからこそ、一言一言がありがたく見えてしまう不思議。

と、割り切らないといけないような気がしてくる。もしも逆にして平塚先生が「平塚だよ」と言っても、「あ、そう」とか返しそうでコワイです。

オクラホマミキサー


やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 - アニメ画像003
で、キャンプファイヤーです。オクラホマミキサーはなぜ男女ペアなんだと異を唱えたい。今回は小学生だからいいけれど、中学生だと女子側に立てばイケメンだけと手をつなぐだけでいいよねムードは確実にある。

そして、小学生とは違い男子としては女子と手をつなぐことを微妙な思春期だからこそつい意識してしまう。これから先、女子と手をつなぐことなどないという寂しい未来を感じながら。

そんな機会を大切にしたいという思いを胸に秘めて挑んだキャンプファイヤーがそんなエアオクラホマミキサーだったら悲しすぎる。そんな脳裏の中を覗かれたような男子(イケメンではない)とは女子だって八幡にとって対処したように自然に嫌がるだろう。

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 - アニメ画像004
さて、このキャンプファイヤーで男女ペアで踊るというのはイケメンではない男子にとって喜びとなるか悲しみとなるか人生の転機のような気がしてきます。

むしろ、そこで自らのイケメン度が把握出来てそれはそれで参考になるだろうけどね。イケメンではないとわかっている私にとっては処罰以外の何ものでもありませんでした。

エアオクラホマミキサーは言い出した人が勇気ある(それを勇気と呼べるかどうかw)から周りもそれに合わせないといけない。つまりはエアオクラホマミキサーによって実際に手をつないだ女子がいたらそれはもしかしてフラグが立っているという可能性があるかも知れない。

それよりも、実際に女子と手をつないで誰からも終始苦い表情をされる方が辛いです。なぜ普通に踊るだけなのに相手に悲しい出来事のように不快感を与えてしまうのかと不条理を感じた思春期でした。

大事なのはバランス


やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 - アニメ画像011
そこから、雪乃さんの講釈が上のキャンプファイヤーのオクラホマミキサーに当てはまって笑えた。人を外見的価値で見定めるとか、一部を見るとかそういうのではないというのに強く感動した。

てか、それをさりげなく雪乃に言える八幡はセクハラで訴えられればいいのにね。彩加に敏感に反応する八幡だけど、胸の大きさだけは気にする。そこに視線が自然といってしまうのは男として正常なのだと感じるようにしてもいいのだと私は声を大にして言いたい。

いや、それだと雪乃様のバランスを見てというのに矛盾する。だけど、バランスを見てもそこに目が向いてしまうのは仕方ないと割りきって、中学生時代、凝視していたらクラス全員の女子から嫌われました。

だからこそ、八幡のように頭を冷やすことの大切さを感じましたよ。もう遅いけど。だから、プールとか海とか絶対にいけない。凝視しても大丈夫な二次元が一番安全ですね。だからこそ、こういうサービスシーンがアニメには多いんだな。

小学生時代の友達理論


やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 - アニメ画像013
水着に目を奪われている間に鶴見の登場です。八幡の言っている通り、”ぼっち”は”ぼっち”がわかるというか近づけるんでしょうね。特殊でスペシャルな存在だからこそ、聞いてみたいと思う。

で、鶴見の”ぼっち”に対しての前回の解決策に対しての延長で、気軽に相談に乗れる八幡はやっぱり違うのだと思う。呼び捨てにしても怒られないぐらい。

そこから思い切り悩むでもなく鶴見の問いに答える八幡。葉山も三浦も悩みに悩んでどうしてもわからないぐらいの難題の切り出し方をいとも簡単に答えようとする。鶴見の今の友達が将来も友達でいる確率。

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 - アニメ画像017
偉い人から聞いた話ですが、人生の中で本当に友達だと呼べる人が二人か三人いれば幸せな方だというのがあります。きっと、この友達は親友で何でも気軽に話せるレベルだと思いますが、人の寿命が70年だとすると、小学生時代の12歳までに出来た本当の友達が一人いれば、残りの人生のペースなら本当の友達が五人か六人も出来ることになります。

そう考えると12歳までの友達が人生の最期になって友達でいられるならそれは最高だけど、まだこれからの人生を考えると、12歳までに本当の友達ができなくてもいいわけです。

それに結衣という八方美人でさえも高校生で会う人は一人か二人というぐらいで名前は出て来なかった。それは親しい友達とは呼べないかもしれない。巡り巡ってまた再会して友達になる可能性があるとしても、それは友達じゃなくても再会したら本当の友達になれる可能性もゼロではない。

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 - アニメ画像018
それこそ、鶴見にあてはめるなら幼稚園の頃の友達が今も友達としているかどうか。幼稚園から小学生は近所の場所に通うので仲良くなる可能性もあるわけで単純に考えても場所が違えば人付き合いも違ってくるわけなんですよね。それこそ多くの人と関われば関わるほど仲良くなれる可能性もある。

中学生になったら、他の学区からの新しい人との出会いもあったり、高校生、大学生となればさらに大きくなる。だからこそ、平塚先生の言葉通り、「仲良くする必要はない。上手くやれと言っているんだ」が適切。誰とでも上手くやれば、そのうち仲良くなれる友達は出来る。八幡と雪乃みたいに自然と仲良くなる友達もいるけれどね。

そういう意味で八幡の言いたいことは逆境という現実がどうであれ悲観的に考えないでも、それが普通なんだ。しかも、スペシャルなんだと。そして、確率論でいえば、同級生で1%の友達が出来ればいい。1%なんて出来ても出来なくても不思議はないわけです。

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 - アニメ画像036
それに八方美人でなくてもいいというのが心に響きました。二方美人でいい。”ぼっち”特性を身に着けているんだから、誰とでも仲良くしないで大体1/4でいいという言葉の綾なんだけど、それだけ気が楽になりますよね。

八方に笑顔を振りまいて誰からでも好かれるような性格に無理やり矯正しなくていい。その言葉には八方美人だった結衣のお墨付きだ。わざわざ友達作ってその友達関係をキープするために疲れるようなことなんてしなくていい。今のままでも十分いいのだと。

八幡のやや強引な”ぼっち”解決法だけど、なんだか信用したくなっちゃいますよね。そのまま八幡みたいに”ぼっち”は”ぼっち”でいいという考えになってもいいわけで、そこで自分が間違っていると考える思考がまた自分を苦しませるわけで、八方美人の結衣だってそれで昼休みに三浦を選ぶか、雪乃を選ぶかでこじれたことも何度もあった。

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 - アニメ画像019
結衣は結衣なりに努力して今の状態をキープするのが辛いという現実がある。そこで自分は普通じゃない、特別な人間だと思うことが問題。それが負の感情に出ると悩みの日々を過ごし、正の感情に出ると中二病だ(まあ、本当に天才はいるけれど少数だし)。

そこで鶴見が世界を見限ったというのに戦慄が走った。八幡の言うこともわかるし、周りが言うこともわかる。だけど、どうしようもない。自分が変化することで周りから見る目が変化する。

人が人を評価するのは固定観念と印象。ただ、これは八幡の言いたいことの延長線上のような気がします。鶴見自身が無理に変わる必要はないということを1%の小学生友達理論で語ったわけなので、それでどんなに頑張って変化してもたかが知れている。

しかし、固定観念と印象だけではない気がします。そこにある程度の性格が含まれていると思います。これは世界を達観している八幡なりの結論なので、そこはブレがありそう。

新世界を作った結果


やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 - アニメ画像020
そして、鶴見の結果。ああ、やっぱいいですね。この不完全燃焼感。展開は思いっきり良い方向に裏切られたわけですが、解決はしていない。解消ももしかしたらしていないかもしれない。八幡の作戦で世界が変わらないなら、新世界を作る(の神になる) by デスノート。

まず、鶴見が犠牲になるのは”ぼっち”として当然。そして、謝るのではなく、誰かを”ぼっち”にさせる。このグループという世界を壊し、鶴見の新たなグループという新世界を作る。

だから、4人のうち誰でも良かったんですよね。半分といっても5人だったら2人でもいいけれど、もう一人残すように言う。そうしたら、残った2人、そして、見離した2人のグループが出来上がる。残った方に鶴見を入れればいい。

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 - アニメ画像022
それでも、出来なければドッキリということで、鶴見+1人のグループと3人グループでその1人が”ぼっち”になり、鶴見と”ぼっち”グループが出来る。どちらにしろ、人間関係を崩壊させればいい。

本当、この考え方、最低で最高ですよねw。私は葉山の言う通り、鶴見のいるグループはそれほど悪い子たちが集まっているように見えないんですよね。だからこそ、八幡の言うどこにでもある世界の一部。

で、その世界の常識を覆そうとした。鶴見をだしにしているわけではないんですが、この発想を葉山グループと共同で出来たことが最高の結果を生んだんですよね。

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 - アニメ画像023
鶴見を救うために葉山グループは本気だった。”ぼっち”にはなっていないから心情は全てわかることはないだろうけれど、理解しようと努め、八幡の作戦に協力した。

彼らの協力がなければこの作戦は決行出来なかったわけで、八幡が(平塚先生の言う)葉山グループと上手くやった結果なんですよね。仲良くなったとはいいがたいけれど、葉山グループは八幡の言い分を尊重してくれた。

それこそ、葉山グループと鶴見を除いた鶴見グループという普通の世界との架け橋として”ぼっち”の在り方を再提示してくれたような感じです。

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 - アニメ画像025
で、鶴見自身が我慢出来なくなったというのが今回の最大の見どころで、”ぼっち”は”ぼっち”を作りたくないという八幡の作戦の抜けがあったように思えるんですよね。”ぼっち”である鶴見はみんなを犠牲にしたくない。悪者は私一人でいいということで落とし所をつけた。この作戦を鶴見に告げていたらどう反応しただろうね

。鶴見自身は苦悩を抱えてもいいけれど、鶴見グループの中で人間関係を壊してまで”ぼっち”を解消したくない。仲のいい鶴見グループでいて欲しい。そう鶴見は願ったのでしょう。

友達関係が本物か偽物か真偽の程は最初八幡にはわからなかった。その人間関係を本物にした鶴見。”ぼっち”である鶴見の状況は変わらない。八幡の作戦で壊れそうだったけど、一度壊れてしまったようにも見える鶴見グループ。気まずい空気が流れる。誰もが恐怖で信用出来なくなった。

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 - アニメ画像026
この時のことを学校でも引きずるかも知れない。自然と人間関係が解消されていくのだろう。鶴見はどうなるかわからないけれど。将来抱える不安を彼女たちに与えたくない優しさに見える鶴見の”ぼっち”としての苦しさ。

きっと、それがきっかけで今後仲良くなるかもしれないし、その鶴見グループの人間関係が悪化して解消してしまうかもしれない。その結果はわからないけれど、鶴見の優しさが誤算だったというのがやっぱり心温まる話になっているんですよね。

「最低にいるからこそ……」


やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 - アニメ画像028
で、今回のオリエンテーリングでの鶴見の件について平塚先生が上手くまとめてくれました。「最低にいるからこそ、ドン底に落ちた人間に寄り添えるのかもしれない。そういう資質は貴重だ」。

”ぼっち”だからこそ、”ぼっち”の気持ちがわかるという鶴見の苦悩と同じで、八幡は”ぼっち”を特殊能力として世界を穿った見方をしている分、ドン底に落ちた人間の気持ちがわかる。

鶴見が八幡のそばに二度ほど寄ってきたのはそのせいだと思うんですよね。鶴見は八幡のことを見て、葉山とは違うと見ていたけれど、世の中にはやっぱり八幡のような人間は必要で、鶴見の居場所としてこのオリエンテーリングの中で自分の未来と境遇について仲良く話し合えたのが今回の鶴見の収穫だと思う。

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 - アニメ画像030
同じように八幡にとっても。お互いがお互いを励まし合っている。”ぼっち”の気持ちがわかりたくてもわからなかった葉山グループ。鶴見グループと一緒で少しだけ自分たちのグループに恐怖の状況下では亀裂が走っていつでも”ぼっち”になるということがわかったのではないでしょうか。

そういう意味では平塚先生の狙いは予想以上に当たって、八幡たちだけではなく双方にとって上手くやった結果として残ったので教師らしい感じで締めてくれました。

ああ、問題は”ぼっち”だけなのに色々な手法を使って魅せてくるこの作品は毎回考えさせられるな。そして、最後の最後がまだあった。

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 - アニメ画像035
まさか、結衣の犬を助けて入院した八幡を轢いた車が雪乃の車だったという真実。三人が入学前に出会っていた。でも、犬を助けるために飛び出してきた八幡が悪いとはいえ、車で轢いたらそれなりに警察沙汰になると思う。とはいえ、そこで雪乃とどう結びつけるかわからない。

ただ後味の悪い印象だけが残る。雪乃は乗っていたかどうかもわからないし、同じ車である可能性もないとはいえない。ただこれでどういう展開になるのかわからなくなったのだけなのは確かだった。個人的には鶴見だけのお話でも良かったかな。