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人の温もりを初めて感じた遊佐の揺れる感情。その揺れは梨花に伝染し、お互いに励まし合う優しさの連鎖。


うわぁ、遊佐の回想を入れてくるなんて悪魔ですよ。卑怯ですよ。卑劣極まりないですよ。こんなことしたら、な、泣いてまうやんか。しかも、ルシフェルが天使じゃなくて悪魔になっているし。

これはもしかしたら、重要な所なのかもしれませんね。堕天使=悪魔みたいな構図が出来上がれば、天使であった悪魔も同じ天使の子である遊佐と同じ存在になる。遊佐とまおうの妥協点というのが見えて来ました。

本当の背景がまだ見えない


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もしかしたら、本当の敵はそのルシフェルでまおうは魔王という座に座らされただけの存在で、色々と誤解が混ざり合っての憎しみと闘争が行われたのかもしれません。

遊佐が子供として父親が死んだことを知りつつも祭司が復讐をさせることを命ずるのはちと酷だったのかも知れません。

お父さんはルシフェルのせいでなくなったという事実は本当だとしても、そのルシフェルの行動原理もわからず、祭司の笑みで利用されたかのようにも見える背景はなんとも言葉として言いがたいものがあります。

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何をもって何を制するか、そんな部分でまおうを倒すという遊佐と、世界を支配するというまおうの二人は根本的な部分で折れかかっているように見えます。

きっと互いを思いやる気持ちは二人とも持っているだけにそこに何を善とし何を悪とするかも基準がわからないだけに、遊佐とまおうの共同戦線による二人の思考の変化が楽しみになってきます。

人の優しさと温かさに触れる


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そして、遊佐の同僚と思しき人梨香の優しさにまさにサブタイ通り触れた気がします。子供の頃から父親について、荷馬車のおっちゃんとも仲良くやっているし、勇者としてエンテ・イスラにいるときも仲間がいた。

遊佐のそばに誰もいなかった時は祭司に連れられ父親が亡くなったことを知った時期と、まおうを追いかけて日本についたとき。この二つなんですよね。一人でいる時にはいいことが起きない。

父親は仕方ないにしても、仲間と一緒に行くはずだったのがいけなかった。もしかしたら、仲間は付いていこうとしたものの諦めたのかもしれません。そこが遊佐にとって気がかりなポイントなんですよね。

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しかも、一人でいた時に辛い経験をした分、仲間に対しての疑念がわく。誰もかも助けたい勇者としての遊佐は仲間も信じられないくらいに孤独を経験しちゃったんですよね。

だからこそ、人間の本当の心の温かさに触れたのは今回が初めてだったのかもしれません。まおうが泊めてやった優しさはあるけれど、それは憎しみと優しさの相殺で掻き消えたとおもいますしね。

だから、何のために誰を守るかという部分で遊佐自身が守られた経験があまりないからこそ、こういった梨香の何かが起こった時に一人でいる寂しさをわかってくれる人が身近にいるだけでも幸せですね。

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こういうさりげない優しさこそが本当の優しさなんだと思います。会社では仲良く、飲みの時も仲良く、だけど、プライベートではあまり干渉しない主義と言う名の距離感。意外に人と言うのは距離感を置きたがるんですよね。

そりゃ嫌いな人とは距離感を置きたがるのは当たり前だけど、職場が同じ人と会うというだけでも職場を思い出して仕事をプライベートに持ち込んでしまうというのを避ける人がいるんですよね。

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だから、飲みニュケーションがあるわけなんですけどね。それも形式ばって、こうやって普通に家にあげてくれるというのはなかなかないから日本のことを知らない遊佐には特別に感じていないかも知れないけれど、後々、その優しさを思い出すのかも知れません。

だから、芦屋という相棒がいるからこそ孤独を知らないまおうの方が弱いのかも知れませんね。そういう意味では芦屋は特別な存在です。友達以上恋人未満な。って、恋人とかだったら引きますけどねw。

地震という恐怖


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そして、梨香が地震で家族が亡くなったかも知れないこと。怖いが恐いになるとき。これを書いている時はきっと阪神淡路大震災のことを言っていると思いますが、この作品が電撃文庫で受賞したあとくらいに東北の地震があったんですよね。

だから、軽はずみに言えない部分が強いし、それで心痛めている人もいるからなかなかこういう部分で深く追求できない。でも、簡単に聞いてくる。なんだかわかる気がします。

私は実際に地震の被害にあったわけではないけど、出身地を聞いて梨香に「地震大丈夫だった?」という言葉は相手を思いやる言葉に見えますが、大丈夫じゃなかったときのことを考えていない軽はずみな質問なんですよね。心の傷に塩を塗るような行為。

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しかも、それが別に悪意があるわけではないから、相手を責められない。そうなると、一人で悩まないといけないし、こういった愚痴を聞いてもわかってくれるような人も少ないだろうし、ただただ心の傷がいつもうずくだけなんですよね。

だから、私がこうやって遊佐のことを回想で色々云々言うよりも、そんな過去のことなんて忘れさせるくらいに楽しい思い出を作ってあげたくなってきます。

だけど、そう簡単に心を抉る傷は癒えないんですよね。上書きできるほどに楽しい出来事ってそうそうないと思います。

大事な人が一人ひとり亡くなっていくのは多いのに、そう簡単に大事な人がどんどん出来ていくわけでもないですものね。そして、その大事な人もまた不幸で亡くなって心が抉られる。人って生きていくだけでも結構大変なんだと改めて感じさせます。

ニホン?


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さてさて、お話の方は面白くなって来ました。Aパートでほろりと泣かせ、Bパートでシリアスなバトルとラブコメ。うーん、理想的な作りじゃないですか。

偏りすぎていない設計が好きですね。しかも、Aパートでの遊佐の思いはまおうの心に響かせ、その苦悩を思い出す。なんだかかたきを取るために動いている遊佐の心が揺れ動いているのに泣けそうになりました。

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そこに千穂がやってくるという大家さんの言う通りのドロドロ展開。千穂の中で遊佐が元カノから今カノに変化した瞬間でした。

今カノかどうかはわからないけれど、元カノを自分の部屋に入れることはないだろうから、どうしてもそう考えちゃうんですよね。しかも、事故の時に優しくしてくれた遊佐の言葉が信じられなくなってしまってちょっと、いや、かなりの人間不信になってしまう。

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それを利用するのがルシフェルの役目なんでしょうね。もしかしたらですが、彼の言葉を聞くに人の憎悪や悲しさや絶望を自らの力として変換する術を持っているんじゃないでしょうかね。そうしたら、遊佐と千穂のケンカの時に大崩落が起きたのも頷けます。

逆に言えば、誰もが悲しみも憎しみも持たない人間であればルシフェルの力はそれほどでもないということなんでしょうね。まあ、これは憶測に過ぎないですけどね。そうなると、遊佐が父親を失った悲しみや、梨花が地震で失った人への悲しみも応用することが出来るから、ある意味万能な力じゃないですかね。

その力を行使することで、その人がもっている悲しみなどの負の感情をなくしてあげられれば、ある意味、天使のような存在になるので、遊佐の立場がなくなるんですよね。ああ、でも、その力を使って人を殺して、その人が亡くなった悲しみをまた力にして永遠に増幅する力を得られるなら、幸せとは遠い存在にもなりえそうです。

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そういう意味では前回の崩落事故の時にまおうに魔王の力が宿ったということで、まおう自身もその力があるということになりますよね。それでルシフェルとのバトルにでもなるんでしょうか。こういう時は勇者たる遊佐が張り切るべき場面ですが、遊佐の力がどれほど残されているかわからないのが不安要素ですね。

だからこそ、ラストの方で見せた遊佐の仲間がニホンに行こうとしている場面で泣けて来ました。本当は、まおうと芦屋、遊佐と千穂の四人をずっと見ていたいけど、いつまでもフリーターなだけの日常ラブコメで終わらせないという意味ではストーリーとしては未知数の面白さを見せてきて楽しみになってきました。