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うわぁ、冒頭で前回の続きをやるのか。心が痛いよ、ママン。


もう、ここは場面を切り替えて、くみん先輩たちを移して、普通に落ち込んで帰ってきた六花を迎える流れだと思っていました。そんな簡単なことだと感じていた自分がバカでした。

だからこそ、視聴者としても六花の気持ちになりきって、十花の言葉に耳を傾けないといけない。でも、その一つひとつの言葉が心を痛めつけるんですよね。

十花なりの六花への思い


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別に十花は六花が嫌いな訳じゃない。むしろ、逆で好きだからこそ、いつも笑顔で楽しんでいる六花がいて欲しいんですよね。そんな六花が父親と母親のことで心に傷が言えることなく一人だけ悲しみを抱え込んでいると思うと姉としては見ていられないんでしょう。

だからこその荒療治。父親が亡くなり、母親は蒸発。つまりは、母親は父親が亡くなったという現実に耐え切れなくて逃げたんだと思います。

亡くなった父親との子供である十花と六花を見ているだけでも、その父親を思い出してしまう。そのことをいつまでも心に残してしまうだけで、十花と六花を見ていたくない。

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そんな心の弱さを持った人間なんだと思います。でも、そんな現実を認めたくないだけで、十花と六花の気持ちは無視して自分のことしか頭になかった母親としては失格なんですよね。

だからこそ、人間として現実を認めたくない悲しみに同情は出来たとしても、子供を生むということにより母親としての責任は全う出来なかったという意味では十花と六花は母親を恨んでいい。きっと、十花はそうしている。父親の死だけで現実を理解して生きられる。

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だけど、六花は母親を含めた4人での生活に戻りたいことを望んでいるあまり、父親の死が手の届かないセカイにいることだけわかれば母親もそれを理解して、また、心だけはつながった4人の家族生活に戻れる。

そこでは、父親の死がきっかけでどこかへ消えてしまった母親も同じように違うセカイに行っているだけという妄想という願望に縛られているんですよね。

六花にとっては母親は悪くないと考えてしまうからこそ、十花よりも二倍の悲しみが訪れている。それに十花と違って年齢も幼いという側面もある。

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だけど、その悲しみを拭うには今が最適とばかりに言葉の刃が六花を襲う。それは六花にとっては邪気眼セカイでの攻撃に見えるかも知れない。実際、体に傷が残るような攻撃かも知れない。

良薬は口に苦しということわざ通り、六花の悲しみという傷を癒すための言葉の良薬なんですよね。それが痛いのは良薬だからこそ。消毒と同じで最初は痛みを感じるけれど、段々と傷が癒えれば、その薬を塗ったときの痛みは消えてしまう。そんな十花の優しさとしての良薬。

それを塗りたくないと避けることも六花には出来る。だけど、十花に立ち向かって、その痛みに耐える。薬の痛みとは知らずに。そして、どんどん痛みが増えていき、耐え切れなくなるほどにはならなかったのが幸いだった。

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もしかしたら、その場面を信頼の置ける勇太がいたからかもしれない。好意(恋)の力によって母親が逃げていった好意とで相殺できているくらいに。十花に向けて対立する勇太だったけど、私個人としては勇太の言葉には反対だった。

時間が解決するか、大人と子供の違いなのか、いっぺんに悲しみを抱え込んだためなのか、今の勇太にとってどれも正しいことに見える。

けれど、このまま現実から目を背け続けることがはたして六花自身のためになるのか、という点において、十花は間違っていると反論するし、六花としてはどちらも自分の為を想っているがゆえの言葉だからこそ、その二人が諍いを起こしている現状が苦しくなって逃げた。

どちらも今の六花には受け止められない。六花なりの答えを見つけられない。なので、逃げ出した。そんな場面を見ているだけですごく心が傷んで泣きそうになりましたよ。前回以上の苦しみでした。

勇太が堕ちた理由


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でも、六花が帰ろうとしていたというのを感じ取った勇太の機転がすごい。なんていうか、浜まで自転車を飛ばして、そこにいるかどうかはわからないけれど、とにかく自転車を漕ぎまくったと思う。

そうしないと、六花のが乗った同時刻の帰りの電車に間に合わないから。ただ闇雲に追いかけるという行動だけど、ここは勇太らしさが出ていてかなり好きでした。

勇太のダークフレームマスターになったエピソードと相まって、孤独感の辛さを知っているからこそ、六花を一人にはさせたくないという感覚。

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むしろ、更地になった家を見て、十花と勇太の意見を聞いて一人になって考えさせるというのもありだと思う。だけど、一人になればなるほど、その孤独感が増して、冷静さをなくしてより悪化する可能性も考えられた。

父親もなくし、母親もなくし、家もなくし、姉もなくそうとしている。そんな自分に対して責める思いだけが集まるような感覚。別に六花自身は全く悪くないのに。

だからこそ、そんな思い込みを感じさせないためにも、勇太としてはダークフレームマスターになった経緯を説明した。

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そこには一人だけになる寂しさや暗さはあるけれど、結果的に希望を見いだせたという話にしている。中二病の痛さとか恥ずかしいとかそんなことを交えずに、ただそれは思い出として人それぞれの道を歩んできて悲しんだり楽しんだりしているということを伝えたかったのだと思う。

だから、父親の死から色々と失ったことを来にせずに六花は六花なりのこれからの道を探しだしていけばいい。それに協力するよ、って感じの勇太との雰囲気がとても心地良かったですね。

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そして、一色の恋は勇太と六花の恋の前座ってことでかたがつきました。いや、恋というか利用というか天然というか、くみん先輩って本当の意味で罪作りな女ですよね。

その横でモリサマーと凸守でカップリングが出来ているわけで、シリアス風味の恋愛とコメディ風味の恋愛と純粋なコメディと、この6人の特徴を最大限に生かした脚本だったと思います。

吊り橋効果


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あとは、高校生の男女が夜を共にする展開とか、ありえないっすよ。もう恥ずかしさで死にそうというか、羨ましいぞ勇太。まあ、意識していたのは終始勇太だけだったけどね。でも、吊り橋効果で六花に恋が芽生えた感じですね。

これが好きか嫌いかは別にして勇太が故意にやったわけではないので、これも二人が想い合ってるきっかけに過ぎないんでしょうからね。六花が部屋で寝て、勇太も自分の部屋で寝て、って普通に一日が終わるわけじゃないんですよね。

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それは男女二人が共にしているからってわけじゃなくて、六花にとってはその日の出来事を振り返れば、勇太と一緒に不可視境界線の向こうに見える父親との思い出を見せに自転車で向かったのが発端だったわけです。

六花にとっては楽しい思い出が蘇って、勇太と一緒にそのことを話しあいながら和気あいあいとしたかったわけですが、その家がなくなっている現実を突きつけられ、十花によって現実を見るように言葉で攻められたわけです。

それは喜びから悲しみへと沈み込んだ感覚で、それこそ家に帰って一人で考えようと思っていた所に勇太がついてきたわけですよね。六花の心は悲しみと少しだけ救われた感覚を持っているからこそ、心臓がドキドキしているというか、一人でいるのが怖くなってしまっているのだと思います。

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だからこそ、一人部屋の中にこもった孤独感で眠れなくて、テレビをつけてその寂しさを紛らわせていたわけなんだろうと思います。それで、部屋に強制送還された六花としてはその孤独感と戦わなければいけない。

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だけど、勇太に救われたという過程があったからこそ、そっちの方に目を向けた。向けられることができたのが大きいですね。悲しみのドキドキを恋へのドキドキへと変換できた。

それは勇太が追いかけてくれたことや一緒にコンビニのおにぎりを食べたりしたこととか部屋で遊んだこと、そういうポジティブなことだけを考え続けられた。

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で、そこに悲しみのドキドキが加わることで、もしかして、これって恋?みたいな感じの吊り橋効果での『中二病でも恋がしたい』通りのストーリーに変わるなんてね。思ってもみなかったですよ。

でも、それは勇太なりの誠意と優しさがあって、六花なりの勇太への期待と思いが重なったわけで、上手い具合に恋に落ちたって感じです。

恋にうつつを抜かすなど、邪王真眼の使い手としては堕ちたものだな、という自らへのツッコミもないぐらいに勇太の部屋に入って寝顔を見て安堵している六花が最高に可愛かったですよ。