今回は『ココロコネクト』に続き『TARI TARI』のOP考察をしたいと思います。

第7話までのネタバレを多少含んでいます。それでよろしければ続きをどうぞ。

『TARI TARI』は音楽、特に声を中心に人の心に響く音楽を奏でて、それを糧にし音を楽しんで人生を楽しんで、人も人との関係も成長していく物語として今まで描かれてきました。最初は来夏が音楽の才能も音楽からも愛されていないと教頭に言われてから本当の「音楽」を来夏自身が合唱部を作って追求していく印象だったのですが、その合唱部としての成果は第2話でほぼ回収されたので、これからどうなるんだろう?って思ってみてきましたが順調に予想もつかないストーリー展開をして様々な感動を与えてくれた作品として最高だと思っています。

それで「音楽」に関連して、彼女たちがこれから何を目指し何をしていこうとしているのかOPから想像してみたいと思います。

TARI TARI - アニメ画像000

まずはタイトルが出され、現合唱部の5人が斜めに走っています。斜めとはいってもカメラが斜め下から撮っているので、斜めに見えるだけで、彼女たちは電車と並んで歩道を走っているだけなんですよね。でも、こうやって斜めから撮ることで躍動感が生まれ、走っている彼女たちの全体像が見れてその向かう先はどこだろう?と気になってきます。走っている人間の斜め作画はなかなかめんどいので、これはこれでP.A.WORKSならではのOPだと思います。

文化系の合唱部なのに何故走るの?ってなりますけれど、合唱はホールで歌うということで力強い声が必要になるんですよね。なので、何気にそれなりの体力が必要だけど、大智とかバドミントンで体力あるだろうから別に走らなくても、って思ったけれど、バドミントン部としてもやっていきたいから一緒に走っているんでしょうね。まあ、そんな実用的な理由の他に、彼女たちは留まり続けることを知らないという意味で、初回からずっと前へと進み続けている、いや、走り続けているという意味で一つ目の「動」を見せてくれます。

それとこの作品のキャッチフレーズの晴れたり泣いたり、あとは時々歌ってみたり」の「晴れたり」がこの部分でしょう。

TARI TARI - アニメ画像001

そして、ここからは一人ひとりの大事にしているもの、将来目指しているものが映し出されていきます。まずは和奏ということで、普通は音楽かな、って思いますが、初回の時点では音楽から離れようとしていた彼女がいきなり音楽に熱中してピアノとか弾いていたりしたら、相当のネタバレになってしまいます。なので、音楽と一生付き合っていきたいと思えるような母親の意志を継いだという意味で、家庭を大事にしているというのがわかります。

和奏ってそう考えると何気に大変なんですよね。音楽の道に進むための学校に入って、音楽を諦めて普通科の授業に出て普通の大学の道を目指すために毎日のように補修をして、帰ってきたら、自営業の父親と分担している夕食の準備や家事をしなくてはいけない。そういう意味では忙しさできつい状態の中、いきなり初回でわけのわからない声楽部をやめた人間が一緒に合唱部を創ろうって言ってきたらキレても仕方ないですよね。そんな和奏も今では補修も終わって家事をしながら合唱と母親の残した作曲に勤しんでいるのだから、母親の残した愛情は強いと改めて感じます。

TARI TARI - アニメ画像002

そして、来夏。来夏はわかりやすいですね。初回から全くぶれていません。やろうと決めたらとことんやる。それは紗羽が背中を押してくれたからでもあるけれど、音楽に対する愛情はかなり強いと思っています。紗羽と二人で歌った合同発表会で合唱部としての活動を中止しても良かったけれど、彼女は音楽というよりも歌い続けたいのでしょうね。和奏が「音楽」全般で人の心を動かしたいのと同様に、来夏は音を奏でる「声」の力で人の心を動かしたい。それを目標にし始めた二人がいたからこそ、合唱部としての活動は維持できているんだと思います。

このシーンではヘッドホンまでして歌っていますが、ヘッドホンをしたら自分の声が聞こえなくなるので合唱部の実践というわけではないと思います。好きな音楽があるからこそ、その音楽を自分の声で歌ってみたいという意味で彼女は歌っているのかも知れません。まあ、その歌声が下手であれ上手であれ、ヘッドホンをしているのでどれだけの声量で歌っているかわからないけれど、弟の部屋まで聞こえたことで弟が入ってきたわけで、なんだか弟が不憫だw。

TARI TARI - アニメ画像003

そして、紗羽は外へと出ていきたいのでしょう。父親との問題もあるけれど、彼女自身はアグレッシブに動きたいんですよね。将来的に騎手を目指すということで乗馬に弓道部に合唱部。合唱は家の中で出来るけれど、やっぱり家の中にいるよりも来夏たちと一緒に歌いたいので出かけていくのでしょう。この部分は母親譲りな性格かもしれないです。

いくつになっても、サーファーをやっている母親を見て、そんな母親が危険で見ていられないと文句をたれますが、紗羽自身もサーファーと同じくらい危ない騎手をやり続けたいという意味では、その言葉は自分にも言い聞かせているのかも。だけど、紗羽に対して帽子を忘れていると帽子を投げる母親を見ると、紗羽のその姿勢は母親としても歓迎しているのかもしれないですね。

TARI TARI - アニメ画像004TARI TARI - アニメ画像005

あ、この二人はそれほど重要じゃないのでサラッと流してもいいのかも。大智はバドミントンを目指して揺るがないし、ウィーンは日本での生活に馴染むことが先決。結構、そのままなんですよね。だから、この二人は、「合唱、時々バドミントン部」の「時々」みたいな扱いで終わりそうな気がします。ウィーンは白サイが地下にいると最終回まで思っていたら笑えますけど、なんか不憫だw。

TARI TARI - アニメ画像006TARI TARI - アニメ画像007

そして、ここから一気にシリアスに。「晴れたり泣いたり、あとは時々歌ってみたり」の「泣いたり」という部分ですね。和奏はこんな性格だからこそ泣くことがないから雨で涙に見せるようにしていますが、実際に母親の愛情を感じ取った時に涙を見せていたので、このOPに完全に騙されましたよw。紗羽も基本泣いたりしない子だけど、感情の変化が激しいだけにいつかは泣いたりするのかも知れない。悲しい思いをいつでも抱えている。そんな女の子たちなんですよね。その悲しい思いはいつしか笑顔へと変わっていく事を祈っている。

TARI TARI - アニメ画像008TARI TARI - アニメ画像009

その祈りが通じたのかわからないけれど、来夏は泣いたとしても、その涙を飛ばして気持ちを切り替えてまた歌い始めます。きっと、和奏も紗羽も来夏も一人ひとりが悲しみに暮れたとしても、すぐに自分たちの勇気と努力で何とかしようとして前向きな姿勢を見せるから、この『TARI TARI』は逆に視聴者が涙を流してしまいそうになるのですよね。

TARI TARI - アニメ画像010TARI TARI - アニメ画像011

そして、また男性陣。頑張ってます。本編もそうですがOPでも結構、扱いがヒドイ。いや、映っているだけで十分だけど主導権は確実に女性陣に握られてストーリーも持っていかれている気がします。ウィーンとかこのまま何も描かれないまま終わったとしても不思議ではないかなw。

でも、彼がここで声高に叫んでいるのは合唱部の練習だと思いたい。周りは将来目指しているものが見つかっているのに、ウィーンだけは全く将来が描かれないとかあったりして。いや、それよりも本名も明らかにならないままに終わりそうで。でも、きっと、このシーンを見るに合唱部で本当にやりたい何かを見つけるとは思います。

TARI TARI - アニメ画像012TARI TARI - アニメ画像013

で、夕焼けを背景に駆けていく紗羽とサブレ。これは紗羽が騎手になりたいとかサブレを好きだとかそういうことでもなくて、和奏、紗羽が涙を流してしまいそうになっても、来夏が涙を振り切ったことで将来に対する希望の光が見えてきたということなんだと思います。それに美しいしね。

そして、サビに入る瞬間みんなで合唱する。ようやく、ここで合唱部として「晴れたり泣いたり、あとは時々歌ってみたり」の「歌ってみたり」のシーンが出るんですよね。歌っているのシーンは来夏があったけど、あれは一人なので合唱じゃない。だから、合唱部として活動しているのはこの1シーンだけ。まさか、音楽に焦点を当てている作品で、合唱が「時々」なんてね。そういう意味では合唱部としての団結というよりも、一人ひとりが音楽を通じて頑張っていこうとする物語なんだと思って、見直してみると結構自由度が高い作品なんだなぁ、って改めて思いました。

TARI TARI - アニメ画像014TARI TARI - アニメ画像015

で、サビ突入でまた走りだす合唱部。だけど今度は左から右(上手から下手)ではないのが気になるんですよね。上手、下手の説明はkarimikarimiさんの解説がわかりやすいので、そちらをご参照下さい。『超電磁砲』のネタバレになるけど。

]とある科学の超電磁砲 OPの演出の解説 一貫性のある正負の方向 - karimikarimi

要は左から右が正の力で、右から左が負の力。マイナスに考えるか、プラスに考えるかという意味で、これからサビに入って盛り上がって重要なシーンなのに、彼女たちは上手から下手に走っている。それも楽しそうに。演出論的に考えればおかしいと感じますが、もしかしたら、彼女たちは全方位に向かって走っているのかもしれないです。

後述しますが、彼女たちはそんな常識にとらわれずにやりたいことをやろうとしている。それが間違っていて負の力になろうとも、360度何処へ向かっても走っていく。それがどんな結果になろうとも合唱部として頑張っていこうとする。部長の来夏が先頭を走ってみんなを引っ張っていっているように感じますが、来夏が転びそうになった時に、紗羽と和奏がつかんで、これからは一人ひとりの強さだけでなく、合唱部として一緒に助け合っていこうという姿勢が見えるシーンでした。

TARI TARI - アニメ画像016TARI TARI - アニメ画像017

で、P.A.WORKSが上手と下手を知っている上でこのOPを作っていると感じたのがこのシーン。元合唱部の二人。和奏の母親のまひると教頭です。まひるが上手から下手に向かって正の力で教頭を引っ張っていって合唱部での楽しかった思い出が蘇った後に、大人になった教頭は下手から上手に向かって歩いている。

まひるが何とか教頭を前向きにさせようとしたけれど無理だったというシーンです。これで教頭が悪だと決まったわけではないですが、教頭がそんな性格になったのもまひるが関係してそうで何気に核心に迫るシーンかも知れないです。

TARI TARI - アニメ画像018

そして、ラストはみんなが違う方向へ向かって歩いている。走っているのでもなく、同じ方向へ向かっているのでもなく、誰もが違う方向へ向かっている。いつかは高校を卒業しそれぞれの将来を歩み始めるという意味で誰かといつまでも一緒だよってわけではなく、合唱部で走り抜けたあとは、着実にそれぞれの将来に向かって自分たちの夢を目指している。

そんな将来像に向かって一人ひとりが強くなっていく物語になるのかも知れませんね。これはOPからの勝手な推測なので、どうなるかわからないですので、本編の放送を楽しみに待ちたいと思います。。