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スゴ過ぎて、言葉が出ません。その割にはすごい長い文章になってしまった。最終回前にこれほど人を魅了するシーンやテーマを描いてくるなんて、本当、神様作品から神作品へと進化するこの作品の虜になりました。


前回でこの作品で言いたいことは全てで揃ったみたいに書いてしまいましたが、スミマセン。かなり今回の話で頭の中で凝り固まったイメージを覆すような場面の連続で、すごく考えさせてくれました。

平城議員の「権力」と「力」


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平城議員にはガッカリしたよ。いや、逆に言葉通りの人間だったということか。阿幾を逃して、「村」の社会をつぶして、案山子という「村」の権力を、国の権力によってなくそうとした「事なかれ主義」に見えた議員。ある意味で平和な生活を望む反面、国の権力だけでなく、案山子という「村」の力を見習うかのような拳銃保持。

権力と力。案山子の神様使いとしての村での「権力」と、案山子の持つ身体能力という「力」。どちらも現実で手に入れたかった平城議員は本当に「村」を潰したかったのかどうかわからない。阿幾を逃がしたけれど、その阿幾に向かって、セキでなくてもこれだけの力があるんだと権力を誇示したかっただけかも知れない。

もしかしたら、国の権力では「村」をつぶせなくて、拳銃という一般の武器という力でも案山子に敵わないことで、阿幾に嫉妬の感情を抱いたか、阿幾の憎しみを全く理解していなかったのかも知れない。亡くなってしまった今、真相は闇の中になってしまったけれど……。

日々乃とまひるの見解の相違


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日々乃「枸雅君が、枸雅君が言ってた。『過ぎた力は人を不幸にするって……』」
まひる「バッカじゃないの! 何もかも手に入るのに、不幸になるなんてなるはずない!」
日々乃「私も同じ事思った。案山子の力は……」


ここの部分、すっごい好き。もう、何度も聞いてしまった。匡平に恋焦がれる乙女のまひると、勘違いでその嫉妬の対象になっている日々乃。立場も権力も力も全てが違う。どちらが有利か、どちらが優位か、わからない。まひるは胸だけで匡平がたぶらかされていると思っている(半分は正解?w)けれど、その「力」の勘違いが一番の差なんだと思う。

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ここで二人が言っている「力」は身体的な「力」。それに加えて、権力的な「力」もあるだろう。セキの力は全て、その「力」であって、昔は匡平の全てであって、今のまひるの全て。匡平についての「力」の言及は後述するけれど、まひるの「力」の勘違いは、幸せの源は全て案山子の「力」にあると思っている点。

確かに、今回の日々乃さんを匡平が救済したように、案山子の力がないと守れないものがある。身体的な力にはより身体的な力で対抗するしかない。その上、「村」では神様扱いされている案山子使いとしての立場は上位にあって、「村」の中で育って、一生を「村」の中で過ごして外を知らなければ、井の中の蛙大海を知らずのことわざ通りに閉鎖された中での幸せを得ることだろう。

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だけど、その身体的な「力」以上に大事なのが精神的な「力」。心が壊れてしまった匡平には精神的な「力」はなくなってしまい、身体的な「力」によって得られない不幸を感じてしまった。

そんな中で東京に出て、日々乃と出会い、彼女の精神的な「力」に憧れたのだと思う。阿幾に対して豹変する匡平の姿や、阿幾の悲しい過去を聞いても涙を流して今を憂い、何度案山子の力によって殺されそうになろうとも、身体的な「力」が勝る現実に向かって対抗した。

そして、なおも生き続けて、その信念を曲げようともせずに恐れない。そんな心の強さを日々乃から感じ取って、そばにいたいと匡平は感じたのだろう。

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そんな「力」を間違っているとばかりに日々乃を空中から投げ捨てて、日々乃の「力」よりも今までの人生で自ら信奉してきた「力」の正しさを実証しようとする態度をまひるが見せる。

そんな日々乃とまひるで見解の相違の対比を見せる場面はしびれました。でも、まひるは納得していないようで、日々乃の「案山子の力は……」のセリフの先が知りたくなってきました。

匡平の心的外傷後ストレス障害の現状


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匡平「村が! 村が俺から奪うのか!? 俺がー! そんなこと、俺はー! 俺はー!!」


日々乃を助けるために匡平が必死に抵抗する。人の力で、一人の男が出来る力で、神に抵抗する。無謀だとわかっていても行動しないわけにはいかない。そこに、まひるが惚れる本当の正義感があって、匡平が匡平たる所以なんでしょう。だから、まひるは、セキでなくなった匡平をいつまでも追いかける。

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で、ここでトラウマ発動。てっきり、阿幾やまひると一緒に抵抗したセキのいない巨大な案山子相手にやられたシーンが流れるのだと思っていました。だけど、ここでは父親と母親との三者面談で、匡平が父親から村を4年間だけ出る許可をもらったという平凡なシーン。別に村から出ても、家業を継ぐために戻ってくるというのはかなり普通な気がします。

むしろ、そんな父親の言葉なんて無視して、大学を出てそのまま東京で就職先を見つけて引っ越せばいい。それが本当の自立ってものだろう。単純に見れば父親からの束縛に嫌気がさしてしまって鬱モードになっていると考えられそうですが、父親の言葉はきっかけに過ぎないと思っています。

匡平の回想から抱く幻想


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「父親」から連想する「村」と、「母親」からの言葉でわかった「成長」、「日々乃」という村外の人間の関わるという「新たな道」。

その3つが合わさって、「村」で「成長」した匡平が、外での「新たな道」を見付け出したけれど、それを「村」からの束縛が、巨大案山子のトラウマで傷ついてしまった心が、許さない。どうしても自分の心を制御できない。自分の道を制御できない。父親から言われた通りの「決まった道」を歩むだけの人生の肯定。

匡平の壊れてしまった心は阿幾に対しての暴力を振るうのと同じように、トラウマが記憶の中から掘り出された時に苦痛と衝動のスイッチが入ってしまう。それが今回は日々乃さんを奪われたことに加え、案山子が人を傷つけている現実がきっかけで、どうしても冷静になれずにいられない。

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それで、先程のセリフ。「村が俺から(俺の持っている全てを)奪うのか?」という意味合いに聞こえますが、「村が、村が俺から奪うのか? 俺がー!」にどうしても聞こえてしまう。村が俺から奪うのまではいいのですが、そこに「俺が」が入ってくる。

少し強引な解釈ですが、「村が俺から(俺の持っている全てを)奪うのか? 俺が(やっていることは)ー?」という風に聞こえてしまった。絶叫の中での「が」と「から」の違いなので、幻聴かもしれないけれど。

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阿幾が村を憎んでいるのはわかりやすい。村の風習と規則によって先生も殺され、自分自身も危ない目にあってしまった。それで村を潰せば、村の人間を全て殺せばいい。復讐する。そして、すべての元凶をなくす。それは憎しみの対象が「村」に限定されているので、目標がとても明確。だからこそ、日向は阿幾を捕獲して「村」を守ろうとしている。

対して、匡平は「村」を憎んでいるけれど、それ以上に「俺」を憎んでいる。「村」の中でセキという権利を得て、そのセキの座で満足していた暮らしだったけれど、無人の巨大案山子に会ってしまったせいで、自分の扱っている案山子はセキの心次第で、阿幾の結論付けた「破壊と殺戮」の道具に変化してしまう。

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ならば、セキは詩緒のように穏やかな心の持ち主なら安心して、今まで通りの平和な生活になると思っていた。だから、セキをやめて、「村」を抜けて、心が壊れて衝動的になってしまう「村」の中の「俺」を捨てようとした。

だけど、阿幾が来て、日向勢が来て、また案山子と関わり、誰かを傷つける場面を見ることで、「村」の中で生きていた頃の「俺」が出てきてしまった。その「俺」が許せない。そんな「俺」はもういない。平和な暮らしを望む、ただの一般人としての道を歩みたかった、でも、入ってしまう、もう一人の「俺」という名のスイッチ。

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そんな「俺」を憎んで排除することを望む故に、「村」がなくなっても、案山子がいなくなっても、そんな「俺」は自分の中で生き続けている。せめて、心の奥深くにしまいこんで、もう二度と出てこないようにして欲しい。

4年間の猶予の中で、ようやく理想の道を見付け出した、日々乃さんとの学生生活。そんな理想を「俺」がまた壊してしまう。壊れた心で壊してしまう。この部分に解決策があるのかはわからない。

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だから、最終回で匡平として、どんな結論を出すのか楽しみだし、一人の一般の女学生としての日々乃が「村」を客観的に見ての結論も出してくると思う。

そんな最終回の中でどんな映像を見せてくれるのか。不安と緊張で心が高鳴ってくる。あぁ、理想の作品に出会えて良かった。(って、まだ終わってないけどねw。

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やまむら はじめ

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