そんなのってないよ。哀しすぎるよ。悔しすぎるよ。なんとかしてよ、ほむらちゃん。
個人的には第10話で『まどマギ』は終わっていると思っていました。繰り返す、繰り返す、そんな日々の連なり。そこから、第1話に戻り、何度でも楽しめる電子メディアのように。いや、楽しめないよ。ほむらにとって苦悩と苦渋の日々でしかないよ。
まどかの存在価値が神をも凌駕するというキュゥべえの表現は、比喩でも誇張でもなかったわけだ。それだけの時間を過ごし、まどかの死という失敗をしながら、彼女を助けるために何度でも繰り返す、ほむらの誠心誠意。
それが一介の女子中学生のエネルギー価値を高めるだけ高め、今までに経験したことのない位置にまで高め上げた。
その繰り返す時間はカットされているため、彼女がどれだけの時を過ごしてきたのかわからない。彼女のワルプルギスの夜との戦闘を見れば、反省に反省を重ね、相手の属性や反応の把握や自らの攻撃力のアップを丹念に仕上げてきたのだろう。
まあ、あれだけの爆薬を女子中学生が保有しているだけでもすごいことなんだけどね。ちょっとしたテロってレベルじゃねーぞw。
戦闘シーンとかは迫力があったけど、そこにはあまり詳しくないので触れられないので、すごいの一言です。火薬量と爆発からしても、ワルプルギスの夜は全くのノーダメージに見えたので、ループ後のまどかが一撃で仕留めたというのも、怖い話だ。
まどかを失っても失わなくても、ほむらの未来は全くないと思えるほどに絶望的な防御力。
まどかを救いたい一心で始まった、このループも、別の時間軸のまどかの心とはかけ離れているのかも知れない。
第10話のほむら転校初日のまどかの「はしゃいじゃって」というキャラも、第1話でのまどかはおどおどしてしまっているので、もしかしたら、性格すらも変革してしまうくらいにループを繰り返したということなのかが疑問として残る。
それでも、転校初日→ワルプルギスの夜という短い時間でまどか、さやか、マミさん、杏子と出会い、マミさんと別れ、さやかと別れ、杏子と別れ、という感じで、一度の出会いよりも別れだけを重ねてきたほむら。一期一会ではないからこそ、悔しい。
自分だけが成長し、真実を知り、正義を貫いているのに、キュゥべえの手に落ちる彼女たちを見ているだけで、悲しさはいつしか怒りへとつながり、苛立ちとして彼女の心のなかにストレスとして溜まり始める。
そのストレスと闘い、キュゥべえと闘い、魔法少女としての闘いをこなす日々。そんな心痛を理解してあげる人がほむらにはいない。それだけが寂しい。
ほむらがいなくなることを困る、たった一人の友達であるまどかの願いだからこそ、叶えてあげたいと思う。自分のためではなく、彼女のために……。そして、彼女を必要とする家族や友達を守るために、ほむらはどんな犠牲も厭わない。
そんな孤独と闘うほむらとは好対照のように、まどかの母親が動き始める。まどかという一個人として、一人の娘として、とても大事な存在であることを彼女が理解するために、説得する。
娘が何をするのか全くわからないだけに、まずは話して欲しいと願う反面、隠し事の一つや二つあるくらい思春期の娘にとっては当然のこと。だけど、もしも、それが危ないことだったら……。
失敗が許されない過ちを犯してしまうのであれば、母親として、娘を愛する一人の人間として、助けてあげたいと思う。救ってあげたいと思う。そのための平手打ちでもあり、愛情表現でもあった。それをまどかはきちんと愛情表現だと受け取った。
そのことに母親の役割を全うできたと少しだけ思ったかも知れない。育て方に間違いはなかった。それだけはこの言動でわかるし、自慢の娘として正しい賢明な判断がどんなときでも出来るはず。
そして、難題で苦しんでいたら、話してくれる。今は話せない。私に任せて……。そんな信頼関係で結ばれた親子愛。
それがほむらにはないからこそ、その大切さはまどかに伝えたかった。それが第1話の初対面で「友達と家族を大事にしてる? 思ってる?」発言である。
自分にはわからないからこそ、まどかには伝えたかった。だけど、どう伝えればいいかわからない部分が、ほむらの不器用で寂しさとの闘いを強いられている日々を物語る部分でもありそう。
でも、今回のほむらの号泣には涙出そうになった。あれだけ、涙は見せないように、強がっていた彼女の弱さというか本音。いつの間にか、たった一人の友達から、自分のたった一つの生きがいに変わってきた彼女にとっては、どうしても伝えたい。
そんな気持ちが何度やってもカラ回る悲しさ。
なので、悲しさと大切さをわかってもらうために抱きしめる。ただ、まどかという存在、まどか一個人として愛している(という言葉も変か?)。それに近い感情があるというのを彼女なりに表現した。
まどかは人のためなら、自分の犠牲も気にしない。同じように、ほむらもまどかのためなら、自分の犠牲を何度でも払い続ける。
だから、ほむらは、「あなたが周りを思うより、あなたを思う私の気持ちを大事にして欲しい。あなたが救われないことが私にとってのこの世界での死の何モノでもないの」という感情が溢れ出して泣きそうになった。
やっぱり、ほむほむはかわいそすぎるよ。残酷で過酷な定めしか残っていない彼女に救いを差し伸べたい。本当の意味で救うことができるか、まどかの選択が気になります。
まどかの幸せとほむらの幸せの共存が出来るのか、それとも他の道へ進むのか本当、予想だにできません。
ほむらが繰り返した時間の苦痛は計り知れない
まどかの存在価値が神をも凌駕するというキュゥべえの表現は、比喩でも誇張でもなかったわけだ。それだけの時間を過ごし、まどかの死という失敗をしながら、彼女を助けるために何度でも繰り返す、ほむらの誠心誠意。
それが一介の女子中学生のエネルギー価値を高めるだけ高め、今までに経験したことのない位置にまで高め上げた。
その繰り返す時間はカットされているため、彼女がどれだけの時を過ごしてきたのかわからない。彼女のワルプルギスの夜との戦闘を見れば、反省に反省を重ね、相手の属性や反応の把握や自らの攻撃力のアップを丹念に仕上げてきたのだろう。
まあ、あれだけの爆薬を女子中学生が保有しているだけでもすごいことなんだけどね。ちょっとしたテロってレベルじゃねーぞw。
戦闘シーンとかは迫力があったけど、そこにはあまり詳しくないので触れられないので、すごいの一言です。火薬量と爆発からしても、ワルプルギスの夜は全くのノーダメージに見えたので、ループ後のまどかが一撃で仕留めたというのも、怖い話だ。
まどかを失っても失わなくても、ほむらの未来は全くないと思えるほどに絶望的な防御力。
まどかを救いたい一心で始まった、このループも、別の時間軸のまどかの心とはかけ離れているのかも知れない。
第10話のほむら転校初日のまどかの「はしゃいじゃって」というキャラも、第1話でのまどかはおどおどしてしまっているので、もしかしたら、性格すらも変革してしまうくらいにループを繰り返したということなのかが疑問として残る。
ほむらはただただ心痛に耐え続ける日々
それでも、転校初日→ワルプルギスの夜という短い時間でまどか、さやか、マミさん、杏子と出会い、マミさんと別れ、さやかと別れ、杏子と別れ、という感じで、一度の出会いよりも別れだけを重ねてきたほむら。一期一会ではないからこそ、悔しい。
自分だけが成長し、真実を知り、正義を貫いているのに、キュゥべえの手に落ちる彼女たちを見ているだけで、悲しさはいつしか怒りへとつながり、苛立ちとして彼女の心のなかにストレスとして溜まり始める。
そのストレスと闘い、キュゥべえと闘い、魔法少女としての闘いをこなす日々。そんな心痛を理解してあげる人がほむらにはいない。それだけが寂しい。
ほむらがいなくなることを困る、たった一人の友達であるまどかの願いだからこそ、叶えてあげたいと思う。自分のためではなく、彼女のために……。そして、彼女を必要とする家族や友達を守るために、ほむらはどんな犠牲も厭わない。
まどかの家族から見たときの彼女の大切な存在
そんな孤独と闘うほむらとは好対照のように、まどかの母親が動き始める。まどかという一個人として、一人の娘として、とても大事な存在であることを彼女が理解するために、説得する。
娘が何をするのか全くわからないだけに、まずは話して欲しいと願う反面、隠し事の一つや二つあるくらい思春期の娘にとっては当然のこと。だけど、もしも、それが危ないことだったら……。
失敗が許されない過ちを犯してしまうのであれば、母親として、娘を愛する一人の人間として、助けてあげたいと思う。救ってあげたいと思う。そのための平手打ちでもあり、愛情表現でもあった。それをまどかはきちんと愛情表現だと受け取った。
そのことに母親の役割を全うできたと少しだけ思ったかも知れない。育て方に間違いはなかった。それだけはこの言動でわかるし、自慢の娘として正しい賢明な判断がどんなときでも出来るはず。
そして、難題で苦しんでいたら、話してくれる。今は話せない。私に任せて……。そんな信頼関係で結ばれた親子愛。
ほむらの号泣から、まどかは全てを察せるか
それがほむらにはないからこそ、その大切さはまどかに伝えたかった。それが第1話の初対面で「友達と家族を大事にしてる? 思ってる?」発言である。
自分にはわからないからこそ、まどかには伝えたかった。だけど、どう伝えればいいかわからない部分が、ほむらの不器用で寂しさとの闘いを強いられている日々を物語る部分でもありそう。
でも、今回のほむらの号泣には涙出そうになった。あれだけ、涙は見せないように、強がっていた彼女の弱さというか本音。いつの間にか、たった一人の友達から、自分のたった一つの生きがいに変わってきた彼女にとっては、どうしても伝えたい。
そんな気持ちが何度やってもカラ回る悲しさ。
なので、悲しさと大切さをわかってもらうために抱きしめる。ただ、まどかという存在、まどか一個人として愛している(という言葉も変か?)。それに近い感情があるというのを彼女なりに表現した。
まどかは人のためなら、自分の犠牲も気にしない。同じように、ほむらもまどかのためなら、自分の犠牲を何度でも払い続ける。
同じような感覚でシンクロしている二人の健全な自己犠牲。どちらかが犠牲になるか、どちらも犠牲になるか、そんな選択にしかならない葛藤。
だから、ほむらは、「あなたが周りを思うより、あなたを思う私の気持ちを大事にして欲しい。あなたが救われないことが私にとってのこの世界での死の何モノでもないの」という感情が溢れ出して泣きそうになった。
やっぱり、ほむほむはかわいそすぎるよ。残酷で過酷な定めしか残っていない彼女に救いを差し伸べたい。本当の意味で救うことができるか、まどかの選択が気になります。
まどかの幸せとほむらの幸せの共存が出来るのか、それとも他の道へ進むのか本当、予想だにできません。
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コメント一覧 (4)
どんなに辛い運命をループしてでもまどかを救うためなら必死に頑張る。
ほむらちゃんが絶体絶命の瞬間。
「誰かほむらちゃんを助けて!」
心の中で叫びましたよ!(ノ>д<)ノ
ほむらちゃんを助けてに来たまどかちゃんが格好良かった!
悲しみが渦巻く暗い世界に一点の光が降りそそぐ。
それぐらいまどかの笑顔が美しく可愛いかったです!v(^-^)v
本当この回覚えてますよ
記憶にあるのは最初のさやかちゃんの葬儀のシーンと
決意を固めたまどかちゃんがほむらちゃんを助けに行こうとしてお母さんが引き留めるシーンですね
最後結構怖かったな
自分の葬儀のシーンを見たり、もう会えない上条の演奏を聴いたりとさやかの最期は儚いものになりました。だけど、さやかが悲観せずにいられることが救いでしたね。