『GOSICK -ゴシック-』を見ての反応が第8話になっても芳しくなく、桜庭一樹ファンとしては嘆かわしいので少々長くなりますけど擁護してみます。

かなりよく出来ている作品に仕上がっていると思うんですけど、多くの方がこの作品を推理小説を原作だと思って捉えているフシがあるので、ちょっとだけ見方の提案をしてみます。

別にこの作品を無理矢理押し付けるというわけではなく、木を見て森を見ずな状態になってしまうのは勿体無いので、現時点で何を見て欲しいか、どうしたら、この作品を楽しめるのか色々考えてみました。

とりあえず、この記事を読んで頂ければ「ヴィクトリカちゃん可愛い」は「ヴィクトリカちゃん可哀想」に変化するかも知れない。

推理に重きを置いているか、他に重きを置いているか?

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まずは、この作品では推理としてどうかという見方が広がっているようです。推理小説をアニメ化して推理にツッコミどころが多いなら、それは推理小説として破綻しているのではないかという意見が多く見られます。

これは本編の推理要素が色濃くなっているために、その推理がが楽しめていないので、この作品で何を楽しめばいいのかわからなくなって、結果、「ヴィクトリカちゃん可愛い」という言葉で場を丸く収めた感じになっている印象です。まあ、面白くないという言葉を口に出さないで暗に作品のダメさを主張しているように見えます。

推理するという面では確かに元になる情報が少なかったり、納得できない部分もあるかも知れません。それはそれでダメだと思うなら、頭から除きましょう。

この作品はミステリーと謳っているように見えますが、それは原作が富士見ミステリー文庫から出たという側面(実質、ミステリーと呼べる作品はかなり限定されたけど)もあったり、初回に安楽椅子探偵ぶりをヴィクトリカが見せてしまったために、視聴者の脳裏にこの作品の方向性が決まってしまったからかもしれません。

それにこの小説は広義の推理小説という分類にはは入るかも知れませんが、本格ミステリーではないので、狭義の推理小説には分類されないと思います。ミステリーと本格ミステリーの違いは、背景を見るか推理を見るかなんですよね。

本格ミステリーでは、推理そのものを評価して、トリックが上手ければ賞賛されるし、考えが甘かったら非難される。本格的に推理そのものに注目している点です。逆にミステリーでは作中で考える推理は、ストーリーのエッセンスであって、犯人の動機や背景、その他、本筋となる作者のメッセージを魅せるための手段に過ぎないのが実情です。

まあ、ミステリーであっても推理が面白ければ二重の楽しみを得られますが、推理以外の本編を楽しんで欲しいという部分ではこの作品をそういう目で見ている人は少ないように思われます。

この作品で特に見てもらいたい面

で、推理ではない部分では、ヴィクトリカと久城一弥の関係(友情や恋愛などのボーイ・ミーツ・ガールストーリー)やヴィクトリカの悲痛な背景や生きる糧になるもの、犯人の動機から見る過酷な事情、そういったものを主に見ていくと作品の深さを感じるかも知れません。(私自身、まだこの作品の全ての醍醐味を知らないので色々発見していきたい)

特に注目して欲しいのは、少女に対する周りからの残酷性ですね。残酷というと、この作品の雰囲気と合わないかも知れませんが、ヴィクトリカや犯人の動機を考えると、かなり不憫に思えてしまうくらいに彼女たち、少女にとって世界を生き残るのは厳しいと感じてしまうんです。

この部分について詳しい理解を得たい方は、原作を書いている桜庭一樹・著の「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」と「少女には向かない職業」を読めば大体わかると思います。

少女にはつらい世界との対立を描いた第3回

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『GOSICK』の第3回を例にとると、箱庭に放たれた少年少女は世界の要人からすると、あくまでモルモットみたいなもので一人の命で多数の命が救われるなら仕方ないと思っていたという点でも残酷ですし、殺し合いのトリガーとなったのは少年。男尊女卑というわけではありませんが、少女が文字通り生き抜くためには少年に勝たねばならなかった。

で、勝ち残り生き抜いたはいいけれども、彼女たちは飼い馴らされるだけの人生をこれから送ることになり、、占い師の指示通り、肥え太らせるという意味で孤児院からすると少しだけ裕福なだけで監視という檻の中で人生が終わることには変わりがない。それに自分の命を弄んだ世界に対しての恨みが残ったまま、成す術なく生きていかなければいけない過酷さ。

反抗して今回の事件につながったわけだけど、監視という牢獄から処刑という道に変わる定めで状況は悪くなっただけです。最後に復讐という意味でアラブ人のメイドと友情を感じることが出来ただけで、人生に希望を見出すことができぬまま自らの命を遂げることになる。世界に対して厳しかった彼女たちに対して世界にできたことはそれだけ。自らの命を引き換えにしてもそれだけしか出来ないんです。

少女が抵抗し、少女でなくなることは死を意味する

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そして、第8回を例にとると、ハーマイニアは少女の頃に世界(神託)に死を宣告される。少女の思考では神託というものがわからず、信託された人間を殺せば、神を殺せば、運命が変わるかも知れないと考えたわけです。それが動機でもあり、自らの罪でもあり、世界の罪でもあります。

その罪を背負うのはハーマイニアだけになった結末。それに、世界(神託)によって心が酷く傷ついた共感を覚えても良さそうな少女によって、自らの死が告げられる。少女として罪を犯し、少女に罪をなすりつけ、少女時代を生き、少女によって殺される。この少女に対しての連鎖がつらい。結果的に殺すも死、殺さぬも死なんですよね。そのつらさをわかってあげた人がどのくらいいただろうか?

それに加え、少女であるヴィクトリカにもハーマイニアから見えた将来というのも頭の良い彼女なら理解できただろう。少女から大人の女性になったとしても、希望のない未来が待っていることに…。今回のコルデリア・ギャロの無実の証明になったとしても、ブロワ警部の宣告は「もう二度と出られないかも知れないぞ」なんですよね。

図書館塔という檻から羽ばたくことを許されない。どんなに足掻いても、もがいても、彼女に救いや未来はない。それは彼女の血筋であるセイルーン王国という国民の道筋を考えれば全うなことに思える。頭が良くて、知能が優れていたとしても、結果的に国民が選んだ道は、選ばされた道は、「灰色狼」という村という隔離。自由というのは彼女たちに訪れない。

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自由という意味ではアンブローズが手に入れたという意見もありそうだけど、彼は処刑しなかったという罪を背負うことになり、犯罪者を逃がしたことで村が被害を受け、結果的にはハーマイニアを自らの手で殺し、村から追放されるという処罰を受けたようなものなんですよね。

コルデリア・ギャロと違うのは青年であること。一枚の金貨を渡されなかったこと。それくらいで希望のある未来が待っているとは思えない。少女に比べて幾分かは生きられる可能性があるというだけです。

ヴィクトリカという少女のこれからの希望

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ヴィクトリカに話を戻すと、彼女は常に怯えて生きなければいけない。久城がいなければ、クイーン・ベリー号でもあっさりと殺されただろう。クイアランからも乱暴な目にあっただろう。無実を証明しても「灰色狼」の村に食われたかも知れない。そんな儚い存在。久城一弥が守ってくれたので生き残ることができた。

コルデリア・ギャロの潔白が証明されたことで、彼女の願望や夢は一応の決着をつけた。一生、図書館塔の檻の中でも「満足」という言葉で返すことができたくらいに…。

だから、彼女の希望は久城一弥がきてくれることだけになります。母親から受け継いだ一枚の金貨をなくして、久城一弥の命を救った第8回の結末。それが彼女の生きがいの変化になったので、今度は絶交という言葉は彼女の命取りにもなりかねない。そんな彼と彼女の関係の危うさ。

しかも、その希望となる久城一弥とは将来離れることになる。その定めを受け入れている彼女は少女として終わりを迎えるのか、不安でしょうがないです。

とまあ、勝手な解釈で物語の側面の一部をだらだらと述べてきましたけど、私も本気で「ヴィクトリカ可愛い」と気楽に思えるようになるハッピーエンドを期待しています。