そらのおとしものf-0そらのおとしものf-0(1)

イカロスの本音に焦点をあてると、より一層深みが増してくる。


今回のヨーヨー釣りは正直面白いとは思わなかったな。
この作品はエロに特化し過ぎると、途端に楽しめなくなってしまう。
だから、はじめてのおこづかいと、はじめてシリーズがあって助かった。

まずは、プロポーズなんだけど、死亡フラグとしての笑いを取りにいった
とは言えないわな。まあ、智樹としては少しだけは本気なんだろうけどね。
そのプロポーズする魚にされてしまった、そはらが可哀想すぎる。

そはらは十分な外見と内面を持ち合わせているけど、知り合えた仲というのは、
なかなかにして進展しないものである。進展しないがゆえに楽しめるんだけどね。

だから、そはらの片想い。そして、イカロスが片想いに気付き始めた。
恋という定義や愛という定義は曖昧なもので、一人ひとりが違った恋の形、
愛の形を持っている。そこに、エンジェロイドとしては何か決まった型を見つけたい。

その模索中のイカロスのアンニュイな雰囲気とかとても大好き。
この子はいつも泣き出しそうな悲しい顔をしているのだけど、
それは感情を表さないだけの表情で、感情は芽生え始めている。

だけど、それが上手く言葉に出せない。上手く行動出来ない。
そのもどかしさを感じるのだけれど、イカロス自身はそれほど困惑しない。
別に、愛がわかっても、恋がわかっても、いつもと変わらない日常が待ってるから。

そらのおとしものf-0(3)そらのおとしものf-0(2)
でも、マスターは困らせたくない。マスターに喜んで欲しい。
マスターに怒られることはしたくない。と、イカロスの苦労的な苦悩は続く。
でも、お風呂で智樹が怒ったのは本当にイカロスを大切に思っている証拠。

智樹自身も迷っている。マスターであること。このまま一緒に居続けること。
いつまでも一緒に居続けることの重大さを。だから、踏み込めない。
まだ、踏み込んではいけないと思っている。このままの状態でもいいんだと。

だけど、イカロスに愛の知識が入り始めている。
エンジェロイドとしての使命も重なって、マスターから愛されたいと願ってしまう。
それは請願するわけでも、強要するでもない。ただ、それが普通の形。

それが、ここでは家族と言う名の絆なんだろう、と思い始めた。
自分にはおこがましいとは思いつつも可能性を感じてしまう、そんな意図。
特別になりたい。それがどんな形であれ、愛を感じられればそれでいい。

恋に分類されない愛も多く存在する。いや、恋よりも愛の方が圧倒的に多い。
その恋と愛の違いについて、まずはイカロスは学ぶべきなんだろう。
自分が求めているのは、まだ早いとされる恋か、今のままの愛か。

愛ならば、おこづかいがそうであるはず。
智樹からの感謝のお礼として二千円という愛の形を受け取る。
その愛の形を使って、自分の欲しいものを手に入れる。愛による欲求満足。

そのものが後に愛の形となって残るものもあれば、お菓子になって消え、
スイカとなって消えることもある。でも、もらった愛は忘れない。
そして、その愛を返していくことで、より一層の愛が深まる。

そんな実践的な愛の形をやっているのに、本人が自覚出来ていないのなら、
それは愛の形なんだろうか、と。彼女たちは深く考えない。智樹もそう。
普通である。普通ではない普通なんだけど、普通に思えることが幸せだと。