かのんちゃんが可愛ければそれでいい。それでいい……はず。
安全なスタンガンは安心ですね。小さい子が使っても大丈夫。
電子機器のPFPが壊れないくらいに安全です。
かのんちゃん、桂馬に知られていないということで、自分の存在感のなさを
憂いていたけれど、PFPに書いたサインを消そうとしている桂馬には気付いて
いないんだな。失礼すぎる桂馬。それと液晶にサインする、かのんちゃんも。
ここは笑いどころを抑えてありますね。
あとは、スタンガンがかわいかったことはマイナスかな。
かわいいかのんちゃんが持っている道具が物騒なほど笑いが取れる所だった。
それと原作にあった丸こげだけど安全なスタンガンというのが面白かったのに、
何故省いてしまったのだろう、と細かい点だけど気になりました。
だけど、全体的には大満足の仕上がりでした。
ピアノを昔習っていた影響で楽譜は読めるので気になった所。
かのんちゃんが落ち込んだときに出た「p」のアルファベット。
これって、「ピアノ」という意味の音楽表現だと思うんですよね。
楽譜で「ピアノ」と書かれていたら、タッチを弱くソフトな感じで柔らかい表現です。
「p」が二つ揃って「pp」となれば、「ピアニッシモ」。
意味は「p」よりもさらに弱く、聴こえないくらいのタッチを心がける。
本当、無音に近いくらいに弱いので、周りが音を聞き取れるかぐらいがちょうどいい。
楽譜でいえば、「pp」が最上級の弱さ。それ以上はない。
だから、「ppp」という表現は聞こえない=消え去るくらいという意味で作り手が
表現しているんだとしたら、上手いなぁ、と思うんですよね。
アイドル曲を歌っている中でかのんちゃんの心情を音で表現する心憎い演出。
ただ、キャラソンを作中で歌わせたいだけじゃないんですよ。
音楽を学んで新人賞を取るくらいに頑張ったかのんちゃんだからこそなんですよね。
しかし、かのんちゃん、やっぱりかわいいなぁ。
一枚絵でも好きなのに、動きが加わるとニヤついてきて感無量になります。
何がいいって? それは彼女が今時のアイドルだということなんですよ。
エルシィは正統派アイドルと評していましたけど、それが一番正しい。
天真爛漫で異色な感じでもなければ、実力派のアーティストでもない。
桂馬が言う、今まで通りの劣化するアイドルなんですよ。
大体、アイドルの寿命って1年半なんですよね。その周期で事務所も回す。
だから、使い捨てアイドルと言われるのはそれが所以なんです。
人って、一つのことにハマると夢中になりますが、段々と飽きてくるんですよね。
アイドル側は色々変化をつけさせて、新しいものを提供しようとする。
それが今回のかのんちゃんの努力。
グラビアだけでなく、トークに歌に踊りに演技に声当てと様々な幅の広さを見せる。
全てが一流でなくてもいい。それがアイドル。何やっても可愛ければ許される。
画面では彼女の頑張りを、彼女の歌をバックに映しているんですよね。
それが現時点でもう何か切なくなってくる。アイドルの頂点というものは存在しない。
上を目指せば、どこまでも上を目指せる。
だけど、アイドルという世界では、それは努力と比例しないんですよ。
周りがアイドルのどこに惚れるかがカギになるんですよね。
その楽曲に惚れるか、演技に惚れるかなどして、才能が発揮できればいい。
だけど、アイドルというのはまず人に惚れる。
外見から入り、内面へと触れる。
その内面は外見からの想像だ。だから、アイドルは偶像と訳される。
見えるものだけど、信者には本質は見えていないのだ。
美しければ、可愛ければ、それでいい、みたいな自分の理想像で作り上げる。
それは桂馬が言う三次元アイドルの劣化に見えるのはそのせい。
本当は周りが最初から劣化していることに気づいていないだけなんです。
あくまで自分の想像で生きるのは三次元も二次元も一緒。
それが三次元では劣化、二次元では風化の違いがあるだけ。
どちらも幻想に過ぎないんですよ。なので、桂馬が三次元をバカにしたのに笑えるし、
自分は二次元側だと誇りを持つのも、作品が訴えたいこととは違うと思うんです。
二次元を愛するがゆえに三次元を見ない少年の幻想と、
三次元での苦しい道のりを歩き始めた少女の苦悩が交錯して、
これから面白くなってきそうで楽しみです。
電子機器のPFPが壊れないくらいに安全です。
かのんちゃん、桂馬に知られていないということで、自分の存在感のなさを
憂いていたけれど、PFPに書いたサインを消そうとしている桂馬には気付いて
いないんだな。失礼すぎる桂馬。それと液晶にサインする、かのんちゃんも。
ここは笑いどころを抑えてありますね。
あとは、スタンガンがかわいかったことはマイナスかな。
かわいいかのんちゃんが持っている道具が物騒なほど笑いが取れる所だった。
それと原作にあった丸こげだけど安全なスタンガンというのが面白かったのに、
何故省いてしまったのだろう、と細かい点だけど気になりました。
だけど、全体的には大満足の仕上がりでした。
ピアノを昔習っていた影響で楽譜は読めるので気になった所。
かのんちゃんが落ち込んだときに出た「p」のアルファベット。
これって、「ピアノ」という意味の音楽表現だと思うんですよね。
楽譜で「ピアノ」と書かれていたら、タッチを弱くソフトな感じで柔らかい表現です。
「p」が二つ揃って「pp」となれば、「ピアニッシモ」。
意味は「p」よりもさらに弱く、聴こえないくらいのタッチを心がける。
本当、無音に近いくらいに弱いので、周りが音を聞き取れるかぐらいがちょうどいい。
楽譜でいえば、「pp」が最上級の弱さ。それ以上はない。
だから、「ppp」という表現は聞こえない=消え去るくらいという意味で作り手が
表現しているんだとしたら、上手いなぁ、と思うんですよね。
アイドル曲を歌っている中でかのんちゃんの心情を音で表現する心憎い演出。
ただ、キャラソンを作中で歌わせたいだけじゃないんですよ。
音楽を学んで新人賞を取るくらいに頑張ったかのんちゃんだからこそなんですよね。
しかし、かのんちゃん、やっぱりかわいいなぁ。
一枚絵でも好きなのに、動きが加わるとニヤついてきて感無量になります。
何がいいって? それは彼女が今時のアイドルだということなんですよ。
エルシィは正統派アイドルと評していましたけど、それが一番正しい。
天真爛漫で異色な感じでもなければ、実力派のアーティストでもない。
桂馬が言う、今まで通りの劣化するアイドルなんですよ。
大体、アイドルの寿命って1年半なんですよね。その周期で事務所も回す。
だから、使い捨てアイドルと言われるのはそれが所以なんです。
人って、一つのことにハマると夢中になりますが、段々と飽きてくるんですよね。
アイドル側は色々変化をつけさせて、新しいものを提供しようとする。
それが今回のかのんちゃんの努力。
グラビアだけでなく、トークに歌に踊りに演技に声当てと様々な幅の広さを見せる。
全てが一流でなくてもいい。それがアイドル。何やっても可愛ければ許される。
画面では彼女の頑張りを、彼女の歌をバックに映しているんですよね。
それが現時点でもう何か切なくなってくる。アイドルの頂点というものは存在しない。
上を目指せば、どこまでも上を目指せる。
だけど、アイドルという世界では、それは努力と比例しないんですよ。
周りがアイドルのどこに惚れるかがカギになるんですよね。
その楽曲に惚れるか、演技に惚れるかなどして、才能が発揮できればいい。
だけど、アイドルというのはまず人に惚れる。
外見から入り、内面へと触れる。
その内面は外見からの想像だ。だから、アイドルは偶像と訳される。
見えるものだけど、信者には本質は見えていないのだ。
美しければ、可愛ければ、それでいい、みたいな自分の理想像で作り上げる。
それは桂馬が言う三次元アイドルの劣化に見えるのはそのせい。
本当は周りが最初から劣化していることに気づいていないだけなんです。
あくまで自分の想像で生きるのは三次元も二次元も一緒。
それが三次元では劣化、二次元では風化の違いがあるだけ。
どちらも幻想に過ぎないんですよ。なので、桂馬が三次元をバカにしたのに笑えるし、
自分は二次元側だと誇りを持つのも、作品が訴えたいこととは違うと思うんです。
二次元を愛するがゆえに三次元を見ない少年の幻想と、
三次元での苦しい道のりを歩き始めた少女の苦悩が交錯して、
これから面白くなってきそうで楽しみです。
コメント一覧 (5)
ちなみにめったに使われませんが「ppp」という記号は実在します。ピアノピアニッシモと言って、おっしゃるとおりピアニッシモよりさらに弱い音なのでヨークさんの解釈どおりの演出と思われます。
強弱記号について同意頂けて嬉しいです。
私もこれで合っているのか、わからなかったもんでw。
> ちなみにめったに使われませんが「ppp」という記号は実在します。
これは驚いた。自分の知識の浅はかさを知りました。ピアノ・ピアニッシモ…、見たことなかったなぁ。実際に音で聴いてみたいものですね。情報ありがとうございます。
ピアノ楽曲でお目にかかることはまずないと思いますが、
オーケストラではあるようです。
なお、f(フォルテ)も同様でフォルティッティ…と一応個数に限りはないはずです。
フォルテッシッシ…ですね。失礼
ピアなんとかさんは限りなく続けるのですね。
頭が痛くなりそうです、先生。その音弾かなければいいじゃんと思えるほどに数があるんですね。でも、弾かなきゃいけないんだろうな。音楽家は何考えているんだかw。大変勉強になりました。チャイコフスキーさん、ドSですね。