神のみぞ知るセカイ-0(2)神のみぞ知るセカイ-0(1)

桂馬の心の中にある内なる闘志と現実の残酷さとの戦い。


このエルシィが妹になるエピソード大好きなんですよね。
エルシィって、なんかほんわかしていて、天然ボケでなんか楽しく生きてる。
ただ、それだけでこっちにその明るさが伝染して、勇気をもらえる。

天然ボケだから、天然ボケだからこその彼女の努力なんですよね。
失敗したときは天然ボケだからって許してもらえそうな反面、
頑張っているときも天然ボケだからって、頑張りを認めてもらえない。

何事もうまくないが故に、何事もうまく生きているように感じるんですよね。
普通にしていれば、みんなから守られるんでしょ、人とは違うんだから…。

と、叱咤の目で見られることもあっただろう。
だけど、それは彼女の表層しか見ていないから、表層しか見ようとしないから。
少し、目を凝らしてみれば、彼女の健気さにびっくりします。

それに、自分は落ちこぼれまいと努力しているのに、姉だけ評価されて、
自分は落ちこぼれということに気づいて、それを受け入れる。

つらいことだと思いますよ。姉が頑張っている。でも、それは才能だ。
と、割り切ることができないと、いつまでも自責の念にとらわれる。
そして、いつまでたっても、評価されない流れを受け入れないといけない。

よし、頑張ろうって決めたときに、ダメの烙印を押されることの彼女の悲痛を
知っている桂馬ならではの彼女へのフォローに泣けてくる。
全部はわからないけど、人柄を信じた。協力できる範囲で彼女を助けると…。

そんなエルシィと桂馬の仲を深めるためのエピソードとして、
これほどのものはありませんでしたよ。エルシィちゃん、かわいいです。

神のみぞ知るセカイ-0神のみぞ知るセカイ-0(3)
そして、ツンデレっ娘ちゃんへと物語はシフトするわけですが、
ここら辺のツカミと引き方が上手いなぁ、って感じますよ。
あくまで、青山の性格や背景が見れそうで見れないこの距離感。

この作品の良い所は恋愛ゲームのテンプレキャラの攻略からリアルに適用する
だけじゃなくて、恋愛ゲームとしてのテンプレキャラも亜種を加えれば、
無限の広がりを見せるということがいいたいと思っているんですよね。

ただただ、予想通りに動く彼女たちを手のひらの上のコマのように、
桂馬の思い通りに事が進んでいくのをたた見ているだけじゃない。

そこには、生きている人という型にはまらないオリジナリティのある人間が
実際には存在するわけですよ。必ずしもゲームのキャラと同一ではない。

いや、一個の人間として同じであるはずがありえないんだよね。
だからこそ、桂馬が考える。パターン的思考ではなく、柔軟な発想から
似ていそうな攻略キャラたちの心情を適用する桂馬の対応。

それがそのまま当てはまるとは思わない。現実とバーチャルは違うのだから。
そこに、桂馬のアレンジが入る。そこに注目して欲しい。

不器用な男がなんとかゲームの中の知識を元に、
勇気を出して向かっていくストーリーにもう泣けてきます。

タイトルの「神のみぞ知るセカイ」も桂馬は仮想世界の神。
だけど、人間界の神では当然ない。だから、仮想世界の神がリアルの
神のみぞ知るセカイで四苦八苦しながら糸口を見つける彼の志に心打たれました。