皆さんは劇場版"文学少女"見られたでしょうか?

公開初日に行きましたけど、やっぱりいいですねー。

原作は1巻で止めて楽しみはあとで取っておく派の私としては、今回の話は原作の5巻にあたるので、盛大なネタバレをされてしまったわけだけど、原作読んでない人はどういう反応を取るのか結構気になったりします。

でも、個人的には"文学少女"のファンとして、ずっと追いかけ続けようと決めているので、劇場版"文学少女"のBD&DVDが販売されたときに、ちょっと感想を書いてみようかな、と考えていました。

以下、劇場版のネタバレを含む感想を少しだけ書いてみました。

それは愛と憎悪に挟まれた自分を納得させるためのストーリー。裏切って、裏切られ、そして、誰が最後のツケを払うことになるのか。それは誰にもわからない。いや、わからせようとしていないのだろう。各キャラに感情移入が出来るように丁寧に作りこまれたシナリオ。そこに涙腺がゆるんでしまう。

とまあ、書き出しはこんな抽象的になってしまいましたが、面白かったですよ、劇場版"文学少女"。だけど、展開が終始シリアスで欝っぽかったのは受け入れられるかどうか…。それと、朝倉美羽と井上心葉の関係が最重要課題に見せて、遠子先輩との関係も大事だったという二重構造は仕方ないのかな。作品として、朝倉美羽だけが主役じゃないですからね。でも、二つのテーマを同時に見せるというのは大変で、ラストはドタバタしてしまった印象が強い。

それも含めて、この物語の中心は朝倉美羽の本音と建前と共依存、そして、井上心葉の純真さ故の過ちといった部分だろう。遠子先輩の部分は作品を成り立たせるための付け足し程度に思ってもいいかもしれない。

それくらいに、朝倉美羽の抱えているものって、人生の中で生き抜くためにはテーマとして重くて、簡単に片付けられるものではない。だからこそ、彼女は二度、三度、自殺を試みる。それは脅しではなくて、彼女の人生においての堕落と失墜を意味するものであって……。

朝倉美羽の憂鬱と罪悪感

人は嘘をつく時がある。それは時に良い方向に向かい、時に悪い方向に向かうこともある。良心的な嘘は好まれやすいが、嘘は嘘である。自分の思っていることや真実の反対を自分の口から吐き出すわけだから、そこに罪悪感は存在する。そのちょっとした罪悪感からの嘘が、また、嘘という罪悪感を増してゆき、そこには罪悪感で塗り固められた自分しか見えなくなってくる時がやがてやってくる。

子供の頃の苦い思い出程度に済めばいい。そして、笑い飛ばして、泣いて謝って許しを請いてもいいだろう。だけど、朝倉美羽の場合は自分の罪悪感を井上心葉に転嫁して、自らの罪悪感を消し去ろうとした。そこに一つの問題があった。責任転嫁された罪悪感を解消するためには、井上心葉が謝罪の言葉を述べるか、自分がいなくなるかのどちらかである。だけど、自らの罪悪感は根強く心の中に刻み込まれているので、井上心葉の謝罪に意味はなく、その言葉は宙を舞うことになるだろう。

だからこそ、朝倉美羽は結論を急いだ。そして、井上心葉はその純真さゆえに、朝倉美羽のことだけを気にして周りが見えなくなっていた。そこに、二人で自殺するという経緯になった。人生において、大切なこと。生きていくために必要なことが自分たちには残されていないと確信しきっていたがゆえ……。

井上心葉・朝倉美羽を救った人

琴吹ななせの朝倉美羽に対する言動は井上心葉を救ったという意味で彼女も一人の役者として、この場に立ち会うにふさわしい人物となれた。彼女がいなければ、井上心葉は自分の中でのもやもやした罪悪感と朝倉美羽に縛られた共依存の中、一生を終えることになる手前だった。それゆえ、早く気づいてあげられたことが幸いして、彼女も一人の人間を救った。

そして、朝倉美羽には井上心葉つながりで、一縷の希望を残してくれる一人の先輩と出会えた。自分の気持ちを理解して、自らの立場を考えて、そして、冷静に考えさせてくれる心の場所を提供してくれた人に……。

狂気と嫉妬と絶望の淵で生活を強いられることになった彼女の中での転機を与えようと、それこそ、"文学少女"的なやり方で朝倉美羽を説得し、納得させるための短い時間での懇願。それは遠子先輩にとっては井上心葉がいなければ、どうでもいい問題だったかもしれない。だからこそ、人との結びつきが弱い朝倉美羽と、それなりに人に対して好かれる井上心葉が結んだ一つの小さい絆だったんだろう。井上心葉が退部届を出したがゆえに、遠子先輩が本気で望んだ。

必要としてくれる人がいる。ただ、それだけ。同じように、遠子先輩を必要としている井上心葉がいて、井上心葉が必要な遠子先輩がいる。劇場版の中だけでは、詳細に描かれなかった二人の間柄。その部分は時間と共に脳内補完して欲しい。そして、井上心葉には必要なくなった遠子先輩の存在意義。それは、みんなが井上ミウとして、そして、井上心葉として必要とされる時がきたからということ。一人占めの時間は終わった。それを井上心葉に教えたかったのだろう。誰かに占有されるのではなく、これからは自分の望む道を自分で切り開いていってほしいのだと……。

誰かを必要とすることは大切。だけど、それが誰かに依存してしまうと話は別問題になるということを井上心葉は理解できたのか? それがラストの井上ミウとして出版したということで、言葉で語られるのではなく、映像が語る、それが劇場版の良かった所でもあり、この作品の素晴らしいと思った所でもありました。