最近、新EDのオルゴール音に癒されるんだ。
澪が出て来て、スプレーで文字を、言葉を刻む。

その行為自体、恥ずかしがり屋の澪には難しいこと。
その上、メインボーカルで正面で堂々と歌い上げている。

これは彼女のちょっとした願望と野望だったりするのかなぁ、
なんて、考えたりして、妄想を膨らませます。

そんな妄想でよければ、是非読んでいってください。

○ 澪という周りからみた人物像

彼女はいつでもクールだ。気立てもいいし、いつも冷静沈着。そして、勉強熱心だし、部活にも熱心に打ち込んでいる。そんな彼女の人気は留まるところを知らない。

第7話の「お茶会!」で、彼女のファンが集った。共学だったら、むさい男たちがストーキングまがいのファンクラブとはいえない応援隊でもつくっていたことだろう。そこが「けいおん!!」の清潔さと純潔さにつながっている。

だけど、彼女は"目立つ"ことが嫌いだ。自分のファンに対しても同じように、自分の人気を誇ったりしない。いや、彼女に取って人気がない方が居心地がいいのだ。

期待されたり、応援されると、その声に応えなければいけない。自分の目標や自分の好きなことを制限され、自分の才能を伸ばす方向に世間が自分の走るレールを勝手に敷いてしまう。

○ "目立つことへの不安"

それが"目立つ"ことへの不安感。
"目立つ"ことで、みんなの期待を想像以上に膨らませてしまうんだ。
そこまで期待されていないのにも関わらず・・・。
目立てば、目立つほど、嬉しいりっちゃんとは違う。

才能による苦悩。それは表面上の建前でもあり、心の葛藤でもある。誰からもよく思われたい。そう思うのは自然なことだ。だけど、周りを気にしすぎて、自分を破滅させるのは悲しいこと。

誰もが願っている澪像というのが、それぞれ異なる。おとなしくて清楚な澪だったり、バンドで張り切っている澪だったり、努力を怠らない澪であったりもする。だけど、澪がクラス替えをして新しいクラスに入ったときには人気がでなかったのは何故か? それはりっちゃんという媒介役がいたことが大きい。りっちゃんを通じて、誰かと話せるようになる。普段どおりに接することができる。

だけど、自分の潜在的な恥ずかしさというのは、どうしても隠すことができない。羞恥心というのは、人にあってしかるべきことで、羞恥心が強いからと言って、恥ずかしがることはない(なんか文脈おかしいw)。

では、何故、澪は恥ずかしさがこんなにも強いのか?

それは彼女の自分像が強すぎるせいだろう。自分はこういう人間になりたい、という目標や憧れが強いせいだと思う。だからこそ、彼女は真面目だから、ちょっとした高みを目指し、自分への厳しさはより一層のことだと思う。厳しくすることで、自らをムチで叩いて、頑張らせている。そんな自分の将来への憧れに対する執着。

○ 何故人前で恥ずかしがるのか?

だから、彼女は人前では恥ずかしがる。人前では、自分像が高い分、失敗はできないのだ。みんなの期待に応えなければいけないというプレッシャーに負けてしまう。それはみんながそう思っていなくても、自分が思ってしまえば、やはり恥ずかしい。

そこで、今回はその意見とは真っ向からぶつかることがある。それは、放課後ティータイムでの歌詞担当だ。いやいやながらも、実は彼女は歌詞を書いてみたかったんだと思う。自らの実力を試してみたかった。それに加え、後ろにはりっちゃんがいる。りっちゃんなら、自分の書いた詞を否定しないだろう。

だから、あのヘンテコ、もとい、女子高生らしい歌詞が生まれた。
だけど、それの歌詞に異を唱えるものはいない。

それだけで、澪は自分の居場所を確保した。サブリーダー的ポジションを獲得できた。
リーダーは嫌だけど、サブリーダーなら・・・。そんな感じ。
この時点で恥ずかしさの沸点を自分で下げることができた。それは自分と皆のおかげ。

そして、唯も、紬も。そんな澪を支えて、認めている。そんな信頼関係の元に生まれた、自分の好きなことをすることで羞恥心を制圧できた彼女。

普段の澪と、放課後ティータイムでの澪は違う。そう自分に言い聞かせて、なんとか舞台に立てている。そんな一体感にも似た羞恥心への克服。そういった彼女の成長には今後も目が離せません。

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ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
軽音部部員それぞれの考察を書いてみようと思って、勝手に自分で企画した自己満足の試みでした。