「デュラララ!!」は群像劇として表現されることが多い。
だけど、その群像劇から何を汲み取り、何を感じたかが大事なのではないだろうか?

面白い劇を見せてもらった。喜劇でもあり、悲劇でもあった。そんなエンターテイメント性を、この作品に求めるのも一興。

だけど、成田良悟作品の明確で明瞭なテーマと終息に向かうストーリーの落とし方に注目して欲しいと思ったりもする。

ラノベ版では続いている「デュラララ!!」も、アニメ版では終わらせなくてはいけないのは、原作が続いているアニメ化作品の宿命でもある。

その終わらせ方に成田良悟らしさを極力出しているように見せたアニメ版「デュラララ!!」のスタッフ(特に脚本)に賛辞を送りたい。ここでは原作者の成田良悟氏とアニメスタッフの協力技が光った。

特にこの作品で注目したいのは出発点と終着点だ。

まずは、この作品は出発点から難易度が高かった。

憶え切れないほどの登場キャラを次々と掘り下げ、本編となるストーリーまでの間、視聴者は始まるかどうかわからないストーリーに不安を覚えながらも、登場キャラのエピソードを毎回見るハメになる。

いや、それが楽しいならいい。私自身もエピソードだけでお腹いっぱいと思うくらいに、楽しめた。現代社会の中で抱える若者の悩みというテーマを出すことで、視聴者への問題提起をし、深く考えさせる余地を与えた。

そこで、楽しめたのなら、第一関門通過だ。

脱落したのなら、それは残念だと思うし、後の評判を聞いて、見返すことをオススメする。でも、そこで脱落する人が出るのは、ほぼスタッフは見込んでいたと思う。

そこには、前作のアニメ版「バッカーノ!」という成田良悟氏の評判、ラノベ既読者の擁護があると踏んでいた。

問題はそこからである。エピソードを踏まえて、キャラの属性や過去を知ったことで、どのキャラにも感情移入できる状態で、爆発させた、そのストーリー展開。そこには目を見張るものがあったし、驚きを禁じ得無かった。

誰も悪くない。誰も良くもない。普通なら平凡なキャラに成り下がってしまう所を、誰もが魅力的なキャラになったために、起きる視聴者の正義と悪との葛藤。そこに黒幕は存在するのか否か?

そういった謎解き要素を加えつつ、キャラが一人歩きし始める。そこには折原よろしく人間って楽しくて面白いという価値観に同意せざるを得ない皮肉さも加わっている。

しかし、爆発しすぎた。期待させすぎる期待は失望へと変わる。目標は高ければ高いほど、達成できなかった時のショックが大きいのだ。

どんな展開が待ち受けているんだろう? と胸踊らせる気分にするのはいいのだが、納得できない終わり方だけは避けたい。

だからこそのペースダウンである。

このペースダウンの上手さが、この作品の魅力の一つであるといっても過言ではない。ペースダウンという言葉の響きは悪いものに聞こえるかも知れないけど、いわゆる「ソフトランディング」である。

もしかしたら、この「ソフトランディング」という言葉を知っている視聴者も多いと思うが、意味としては、飛行機の着陸の慎重さを表す言葉で、誰もが望ましい状態への穏やかな移行過程をいう。

逆に「ハードランディング」は胴体着陸みたいなものだ。今までのことは水に流して、無理矢理まとめて、ハイ終わりとかそういうアニメの最終回がこれに当てはまると思う。

で、その「ソフトランディング」として、帝人、紀田、杏里の3人の思いの交錯を丁寧に描くことで、爆発して炎上した状態から、消火させて、熱を冷ました。ある程度の熱は残して…。

そして、納得のできる三角関係の過程と、行く末。この収束の仕方に思わず上手いと言ってしまう。納得できない視聴者も中にはいるかもしれないが、彼らの心理状態の変化を考えると、うまいソフトランディングだと思う。

明らかになっていく真実と辛い現状。だけど、その気持ちをそれぞれが上手く乗り越えさせたように見せる、その手法。いや、実際、どのキャラも乗り越えたけどね。折原以外はね。

そういう意味での収束が終息ではなく、帝人視点で見た、これから先へと続いていく未来への希望を託して終わらせた最終回には、なんとなく安堵感を覚えてしまうんだ。人間って、本当、いいと思えるぐらいにね。