7月から「ストライクウィッチーズ」の続編が始まるのが楽しみで仕方ない私ですが、その一期とアニメノチカラブソクと酷評された「ソ・ラ・ノ・ヲ・ト」の二つの素晴らしさを、ちょっと考えてみたいと思います。

どちらも好きでたまらないがゆえに、肯定的な感じで進めたいと思っています。
特に「ソ・ラ・ノ・ヲ・ト」については否定的な意見が多かっただけに少しだけ残念に思っているので、擁護意見も含めて、書いていきます。

無論、どちらの作品も知っている上で話を進めていきます。

・少数精鋭と多人数制

「ソ・ラ・ノ・ヲ・ト」では第1121小隊ということで、比較的、傷が浅く、それほど激戦区ではない世界の果てを中心にして描かれています。だからこその、少人数制。そんな偏屈な所に人はかけられない。クレハ風に言うならば、"少数精鋭"。

ここに、少しだけ、キーポイントがあるんですよ。彼女が言う、"少数精鋭"は本当に少数精鋭だった。彼女たちは自分たちの力で全てを解決してみせた。誰一人、不必要な人材なんていなかった。それぞれが役目を背負い、それぞれが自分の出来ることを精一杯こなしてみせた。

たまに背伸びをして、失敗する子もいた。無理をして、夢見て、それでも、自分の心を守ろうと、街の人を守ろうとした。そこから、最後には街の人も賛同して、感謝して、第1121小隊の存在感を示してみせた。


そして、「ストライクウィッチーズ」である。
彼女たちは1クールとはとても思えないほどに、多人数制である。主人公の宮藤を加えれば、11人という大所帯でもある。まずは、その圧倒的な人数に名前を覚えることが困難極めるほどの多さでもある。しかも、全12話。一人一話紹介だと考えると、それだけで終了である。

だけど、名前は別に覚える必要はなかった。彼女たちは彼女たちで、日常をこなしながらも、見た目だけで判断出来るほどのキャラ付けがされていた。記録する前に記憶しろと、そう視聴者に問いかけている。名前を覚えなくても、彼女たちの言動は理解できるものであったし、単純明快なストーリーが難解な頭脳をほぐしてくれた。


・絶妙な緊迫感と安堵感、そして、彼女たちの休息。

「ソ・ラ・ノ・ヲ・ト」では、緊迫したシーンは出来るだけ省いた。何故かというと、彼女たちの日常を見てもらいたかったから・・・。彼女たちが何を考え、何を学び、何を実践していこうと決めていったのか、その点に注目して欲しいと思う。

まずは、この作品では登場人物が一人歩きしていると思っても過言ではないと思う。一つの設定があり、一つの人格がある。その一つ一つの言葉や行動が、彼女たちのコミュニケーションへとつながり、進歩させていった。戦わずとも、戦争の非難さに目を向け、過去からの束縛を断ち切った。

戦わないことで、戦争の恐ろしさ、無意味さ、残酷さ、辛さを表現できたという点では、かなり評価してもいい点でもある。だけど、そういった点からは目を背ける視聴者も多く、意外と、コメディ部分に脚光を浴びて、マジメに取り扱ってくれる所が少なかったのは、この作品の周りの視点で見たときに残念な点でもある。


そして、「ストライクウィッチーズ」。
こちらでは13人。何故、これだけの人数が必要だったかというと、彼女たちは最前線だったから。期待されていたというのが大きな所。彼女たちが頑張らなければ、この世界が危ういように感じてしまう、その緊迫感。

その中で、笑える日常を繰り広げながらも、その反対に自らの危険と隣り合わせの出陣へと彼女たちを勇気づけさせた周りのサポートが大きい。

日常が、戦闘の糧になっている。その日常こそが彼女たちの休息。その休息を見せることで、戦闘の緊急感をアピールして、視聴者を飽きさせないつくりに徹した。そのことがまずは成功事例だろう。


・キャラ萌えと戦闘燃え

「ソ・ラ・ノ・ヲ・ト」では、徹底して、戦争を回避する方向で進めてきた。戦争で負った痛手を戦争で取り返すなど、言語道断というのが、この作品の主張です。

あくまで、平和に暮らしていくために、人々を守るという使命感に立たされている気がします。だけど、カナタは何度も空回りする姿には笑いを誘います。笑えるだけの余裕が視聴者にあり、カナタとしても、軍に入るというよりも、みんなで楽しく過ごしていきたいという目標があるわけです。軍人として、どうかと思いますが・・・。

だから、彼女たちは決して、戦いで解決しようとしない。平和裏に解決できるのなら、口だけで全て終わらせたい。そこにタケミカヅチという戦車の設定があったので、視聴者は、戦闘燃えを期待させてしまって、期待はずれに終わってしまった点は、スタッフが少しだけ煽りすぎた部分がありますね。

だから、「ソ・ラ・ノ・ヲ・ト」では、キャラ萌えはあるけど、戦闘燃えはない。


「ストライクウィッチーズ」ではどうだろう。
最後の方で、宮藤がネウロイに近づき、出来るだけ、話し合いでお互いの気持ちに折り合いをつけて、この不毛な戦いを終わらせたいというのは、宮藤だけでなく、ウィッチーズ全員が思っていることだろう。

だけど、ネウロイに言葉は通じない。一方的に攻められ、街は壊滅。最後の手段として残されたのがウィッチーズ。ネウロイの狙いがはっきりしない今、それを防ぐしか道がないので、彼女たちは戦う。いや、守る。この世界を・・・。

その点では、「ストライクウィッチーズ」はキャラ萌えと戦闘燃えの両立ができた。
その意味で、多くの視聴者からの支持を得られたという所が大きいと思う。


だからこそ、この二つは似通っている点が多く、一概に比べられるものではないのです。だけど、考えて欲しいのは、キャラ萌えがあるか、戦闘燃えがあるか、とか、そんな細かいことではないのです。

共通するテーマは、自分の大切な何かを「守る」という、その彼女たちの熱意を汲みとってあげるべきではないかと思っています。その点、どちらも、自分たちのやり方で、人々を「守る」ことが出来た。そのテーマとなる部分について、よく吟味してみると、作品自体面白くなってくるとは思います。

そういう意味で、7月から始まる「「ストライクウィッチーズ2」が楽しみで仕方ないです。今度は彼女たちは何をこの作品から提示してくるのでしょうね?