ソ・ラ・ノ・ヲ・ト10-1ソ・ラ・ノ・ヲ・ト10-2

愛情×友情、そして、幸せの定義。想いを奏でよう。


今回はリオとカナタにまつわる話の伏線回収。
特にリオについては、大方の予想通りといった感じでしょうか。

ソラヲトは結構、分析・考察しているサイトが多いから、あまりストーリーから、
今後の予想をしても、結局、内容がかぶってしまうんですよね。

だから、ここでは、イリヤ皇女とかの深い話については触れません。

でも、リオが言っていた、幸せの押し売り。

幸せと感じるかどうかは個人の自由。それこそ、他人から見て、不幸だとか、
幸せだとか、決めつけるのは、個人への偏見や差別。

どんな境遇になろうとも、どんな生活や環境であろうとも、
ただ、自分だけはこれで満足だと思えれば、それはそれで、一つの人生の
在り方だと思うんです。

それこそ、クレハが自分の境遇を憂うだけでなく、ただ力強く立って、
負けない心の強さを身につけて、それでいて、リオやクラウスといった
憧れの人を見つけて、その人を目指して生きる。

それだけで、クレハは十分に幸せだと感じられたと思える。
憧れのクラウスが写真の中での絵空事で終わっても、またひとつ、
憧れを見つけて、精一杯生きる。

それだけでも、前回の話からの結びつきがあって、今回の話が引き立ちました。

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おばあさんは夢を見て生きている。
約束という結びつきがいつまでも切れることがないと信じて…。

その夢を醒めさせてあげることが親切といえるのか?
本人が願ってもいない現実を、真実を探し求めて、本人に突きつけて、
それは誰が幸せになるのか。

そう考えると、現実を見据えてみることだけが、正しいことではないように感じる。
それは個人の価値観だと思うので、真実を知りたいという願望がある人は多い
と思う。だけど、それは他人に押し付けてはいけない。

押し付けることで希望を見失ってしまった彼女を誰が助けてあげるのか。
そう考える事で、ちょっとしたおせっかいが人生の意義を見失う可能性も
あるので、気を付けたいと思う。

でも、カナタたちの、おばあさんの体を心配して、暖を取ってあげる態度は、
普通に親切だから、口ではあぁ言いつつも、リオも見えない優しさを
配慮しているんだなぁ、と思ったり。

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その「優しさ」が元で命を落としたイリヤ皇女。

だからこそ、リオはただ優しいだけのフィリシアやカナタたちを叱ったりする。
それは八つ当たりではなくて、優しさが命取りになってしまうのが嫌なんだろう。
前回のクラウスがまさにそうだった。

だけど、彼はクレハの命を救った。
それだけは認めてあげて欲しい。でも、リオは目を背けた。
あくまで、それは結果論だと…。

で、運命と言う言葉を信じないリオが、イリヤ皇女のことを
「自分の『運命』を粛々と受け入れて」
と言葉に表した。

前に、偶然が巡り巡って、他人の人生を変えるのなら、それは「運命」だと呼んだ。
イリヤ皇女の件は、それは偶然ではなく、必然であったような気がする。

だけど、彼女は「運命」だと称した。
それは結果論でしかないけれど、そこに偶然、彼女が子供を助けたという
解釈だとしたら、その子供は偶然にも助けられた、ということになる。

そこには、リオの優しさがある。
命をなくしたイリヤ皇女に助けられた子供の気持ちを少しでも理解しようと。
イリヤ皇女の命と引き換えに助けられた少女の境遇を想うなら…。

そして、終いには、その少女をうらやましく思ってしまうなんてねw。
人前では素直になれない分、カナタの前では素直でいられた。
それだけでも、他の部分で苦しんでいたことを救ってあげられたのかもしれない。