この感想は他ブロガーさんの感想を読んでみて、勝手に思ったことを
書いている戯言です。読んでもいいし、読まなくてもいい。そんな雑感。

今回は「おおかみかくし」の第6話の感想から。

これからが本番ですよ。
と、思ったら、この作品を見ている人も随分と減っているな。

まあ、いいや。この作品は謎だけでなく、心理描写にも重きを置いているので、
そういった細かい部分への配慮が出来ている人が残った模様です。

もす!さん

これはクラナドでも見られた手法だが、博士と五十鈴ちゃんが同時に映らない。
まるで二人は一緒にいられない、とでも言うかのように交互に映っていた。
一緒に映るところも、遠景でしかも鉄格子越し。鉄格子の一本一本が二人を断絶しているようだった。

演出の仕方の妙。二人の気持ちのすれ違い。
鉄格子越しの恋というのもなかなかいいですね。
報われないとわかっていても、話さずにいられない。

その気持ちを否定するようで。

ひそかにささやかにアニメを応援している日記さん

最初八朔は単に酸っぱくてキライだった。
ヒロくんに逢って初恋を感じて、恋の甘酸っぱさも加わり、さらに八朔によってその気持ちを「さまされてしまう」事へのおそれが加わり苦しい。つまり八朔で醒(さ)まされてしまうようでは、それはおそらく「恋」ではない・・・それらの気持ちから八朔を避けたい、つまり「もっとキライ」になった・・・・
そんなかんじでしょうか?

八朔効果で好きになった博士への気持ち。それを裏付けるものへの不安。
もしも、八朔効果でないと証明出来ればいいんだけど、それができない。
だからこそ、行動でそれを証明出来ればいいというものなのかもしれない。

そんな衝動と、「恋」という感情から目を逸らしたい気持ち。
それを全て、八朔への嫌悪としてしまって、この行動に移った五十鈴が健気です。

満天の星空の下でさん

不埒へと堕ちてしまった彼女の言動や表情からでは、恋だと言われても全く説得力がないですし、神人の本能に身を任せてしまっては神堕人を脅えさせるだけです。ただ…現在の五十鈴の精神状態は、一誠を失ったことで極めて不安定に陥っていたんですよね。

それで、五十鈴の行動が理論的でないことに、この言葉はぴったり。
「不安定」なんですよ。この成長期で兄を失ったことには納得がいかないのも、
気持ちとしてはわかりますし、この悔しさにも似た気持ちを解消したい。

そう思うと、何もかも衝動的になってしまう。ただ、この不安な気持ちを解消したい
だけなのに、、、自分の命を危険にさらしてでも、どうしても、解決したかった。
ただただ、頼れる人が欲しかっただけなのに……。