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涼宮ハルヒの憂鬱20-1涼宮ハルヒの憂鬱20-2

あー、やっぱハルヒ見ているだけで幸せな気分になれる。


もはや、一週間の活力剤だよ。
ハルヒの1期で度肝を抜かれた、その映画制作を今から始めるというストーリー。
初回で一つのサプライズ。そして、再放送が二期であったというサプライズ。
今回のエンドレスエイトの終結によるハルヒ再開も心の中ではサプライズなんだね。

今までエンドレスエイトで新作を見てこれなかった分、また、新作を見れる喜び。
本当、この気持ちだけで、幸せになれる視聴者も私ぐらいでメッタにいないだろうw。

文化祭で映画をやると言うハルヒ。
それそのものはシャッフルで先に上映してしまっているので、
別に驚きもしない。まあ、上映で驚いたので、驚きの先物買いだな。

だけど、こんな風にハルヒがただ行動するだけでも面白く見えてしまうのは
何故だろうね。

エンドレスエイトで、普通の日常はイヤだと言うほどに経験しているのにね。
でも、その日常もただの繰り返しでしかなかった。

今回は、前に踏み出して、ハルヒのやりたいことに振り回されるのは
一緒だけど、ハルヒが何をしでかすか、わからない状態。


それこそ、古泉が想像していたように、突拍子のないことをいって、今の人間では
不可能なことを押し付けてしまうかもしれない。それだけハルヒは非常識なのだ。
久々にそう感じとれるだけで、今までのハルヒが戻ってきた感覚を覚える。

だけど、その発想はキョンが思うほどに、簡単なレベルで、今見た、今聞いた、
そんな近くに転がっている面白いことに食いつくくらいに単純だから、
非常識の中で常識を保っているハルヒという実感。

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そんな映画制作も目的は、

ハルヒ「私の方がもっとマシなもの撮れるわ」

ハルヒ曰く、最終回付近で誰が死ぬ映画はダメダメだと。誰か死なせることで、
お涙頂戴というありきたりなストーリーに飽きてきているわけです。
まあ、それはセカチューからかねw。

そして、こんなことも。

ハルヒ「世論を味方につけないといけないわ」

前の一つと合わせて、これって、エンドレスエイトのハルヒのことを言っていると
思ったら、笑えませんか。
脚本が同じでストーリーに変化しないものなら、
自分だって作れるって。一視聴者なら、そう考えてもおかしくないと思う。

そして、「世論を味方につける」。同じ話を8回も放送したら、世論なんて味方に
つけられないですよね。「らき☆すた:のこなたが長門の長回しを見て、自虐的に、
責められているのを楽しんでいるかのような感覚と似たような感じ。

世論が離れていった今、
世論をまた味方につけてやろうという京アニの意気込み
と受け取りました。まあ、原作のセリフだけど、タイミングが良すぎたからねw。

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そして、淡々とはしながらも、徐々に進めていく映画制作。
全てはハルヒの意見のみで、キョンの意見とかは全く無視で進行しています。

なんで、キョンは雑用やらなんやらで、文句言っても、実力行使に出ないのかは、
やっぱり心の底でハルヒが非日常的な面白いことを提供してくれているという
淡い期待を持っているからでしょうね。


ハルヒ「あんたはいつも通り、私についてこればいいのよ」

この言葉には反発しなかったので、ハルヒについていくのが心の中で、
心地よいと感じたからでしょうね。
そして、ハルヒもキョンが反感を示さずに、自分に「いつも通り」ついてきて
くれていることに喜びを持っているんだと思います。


この二人の暗黙の人間関係を見ているだけでニヤニヤしてきますよw。
嫌いとか好きとか、そんな恋愛感情抜きにしての、お互いの思惑の一致にね。