ブログネタ
東京マグニチュード8.0 に参加中!
東京マグニチュード8.05-1東京マグニチュード8.05-2

一縷の望みから一気に絶望感と恐怖感漂う展開に。


そうか、広域避難場所がダメとなると、近くの学校が避難場所となるんですね。

うわぁ、いきなり地獄絵図はきつい。
今まで死の描写を描いてこなかったので、
いきなり亡くなった人が集まっている情景は悲惨だった。

きれいなステンドグラスを悠貴に見せたいという未来の計らいで、
この地震では、絶対割れているだろうという予測した衝撃以上のモノ。

体育館は避難所だと思っていただけに亡くなった人の収容所に
なっているのは予想外だった。確かに他に収容できるところないもんなぁ。

そして、ケガをしても、医者不足で診てくれない状態は、過酷な現実だなぁ。
もっと大怪我をしている人もいるだろうけど、それを見せていないだけに、
想像するだけで、ゾッとしてくる。


自分や他人がケガしても、応急処置ぐらいは覚えておかないと、将来的に不安だ。

新潟の大地震の被害を受けた知り合いも、別にケガやなくなった人も
いなかったけど、その後の余震や地震の恐さから、
その後の普通の地震だけでも過剰に反応するようになったみたいだから、
余震だけでも、トラウマを抱えてしまうんだから、バカにできないね。

東京マグニチュード8.05-3東京マグニチュード8.05-4
お爺さん「死ぬべきは…、私でした」

そして、お婆さんはショックで孫を亡くして、その代わりを探しているような悲しさ。
お爺さんは、それでもボランティアをやって、皆を支えてあげる役割を担って、
心が強かったと思ったんだけど、この一言が辛すぎる。

別に誰が悪いわけでもなく、ただの災害なのに、
そんな怒りや悲しみをどこにぶつけていいかわからないので、
自分に過失があるようにして、悩んでしまうお爺さん。


だからこそ、孫たちを助けられなかった分、その報いを、
誰かに対して与えてあげたかったんだろうねぇ。
そう思うと、お爺さんが一日中、動き回っていたのが、全て悲しく見える。

確かに「生きて欲しい、お若い方に」。
老齢化社会が進む中で、若い人が亡くなっていくのは悲しい現実。
逆に支えてあげるべきなのは、若い人なのに、
その若い人が亡くなって、老人だけが残されるのは、将来に絶望を感じるよ。