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戦場のヴァルキュリア18-1戦場のヴァルキュリア18-2

うわぁぁぁ、何かの間違いだと言ってくれ。


え!? マジで死んだんですか。
ドッキリとかじゃなくて? ただの負傷とかじゃなくて?
いきなり葬儀のシーンとかびっくりした。
だって、EDでは、楽しそうにしていたじゃないか。

まさかの悲しみムード。

あのお守りをあげたときには、ロージーに死亡フラグがたっていたのに、イサラとは。
お守りもなんでもそうだけど、あげた時やもらった時って、それに頼って、
それがあるから、死んだとか死ななかったとか、変に結びつけちゃうから、
実際に死んだときに、モノのせいにできなくて、人を傷つける結果になるんですよね。

お守りを渡したから、もっていなかったから、効き目が悪かったからとか、
別に直接は関係ないことなのにそういうモノから結びつけて変な責任感とか罪悪感とか
感じてしまうから、あまり、モノに信仰心を持つとダメですね。

ロージーの責任感も、そのお守りのせいにして、逃れることは可能だけど、
マクロ的視点で見ると、その残兵からイサラを守れなかったということではなく、
この戦争自体が間違っていると感じないとおかしいんですよね。


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それが、軍隊に入るとわからなくなって、味方の死は敵のせいだと、また、
復讐から復讐の連鎖になってしまう。


どこかで止めないと、全員が死ぬまで戦い続け、憎しみが止まらないまま、
平和な社会になることは難しい。
でも、イサラが死んだ所で止めると、イサラだけが損をした格好になるので、
憎しみは残ったままになる。
だからこそ、戦争を仕掛けた相手に戦争で返すと、憎しみだけが残る結果に
なるんですよね。


それこそ、ロージーのダルクス人への偏見がいい例です。
ダルクス人のせいで両親が死んだということで、ダルクス人を恨む。
その人たちを恨むんではなく、人種や経歴など、一括りにして恨むから、
ダルクス人は皆、敵であると思い込む。

それが、重なって、イサラの死ということで、イサラを撃った人たちを恨む。
ロージーの人生は、ただ誰かを恨むことでしか
生きられなくなってしまうのが、とても悲しいことだと思う。


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あとは、ウェルキンの感情を押し殺したような態度が、見ていて心苦しい。

妹が死んで、一番悲しいのはウェルキンなのに、立場上、感情を押し殺して、
皆の闘志をそがないように努力しているのが、なんか可哀想。

でも、ウェルキンの良い所は、イサラの死は敵の攻撃によるもので、
その怒りを次の戦いで発揮しようなどと味方を躍起づけようとすることはなかったこと。
素直にイサラの死を悼み、イサラに対してのみんなの想いを大事にしたこと。

だけど、立場上、イサラの死は「忘れて」と言わなければならないのは
かなり辛かったと思う。死に怖気づいてしまっては戦力にならなくなってしまうから。
こんな理不尽なことが正当化されてしまう戦争を恨みたいですね。

そのウェルキンの言葉を皆は身内が死んでも表情変わらない
鬼のような心を持つ隊長だと思わないで、隊長を心配して珍しい虫を探して、
元気付けようとした小隊の理解力に泣いた。

そして、EDのバラードが胸にしみる。
海での笑顔ではしゃいでいる姿が、逆に悲しく見えるなんてね。(´;ω;`)