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うわぁぁぁ、何かの間違いだと言ってくれ。
え!? マジで死んだんですか。
ドッキリとかじゃなくて? ただの負傷とかじゃなくて?
いきなり葬儀のシーンとかびっくりした。
だって、EDでは、楽しそうにしていたじゃないか。
まさかの悲しみムード。
あのお守りをあげたときには、ロージーに死亡フラグがたっていたのに、イサラとは。
お守りもなんでもそうだけど、あげた時やもらった時って、それに頼って、
それがあるから、死んだとか死ななかったとか、変に結びつけちゃうから、
実際に死んだときに、モノのせいにできなくて、人を傷つける結果になるんですよね。
お守りを渡したから、もっていなかったから、効き目が悪かったからとか、
別に直接は関係ないことなのにそういうモノから結びつけて変な責任感とか罪悪感とか
感じてしまうから、あまり、モノに信仰心を持つとダメですね。
ロージーの責任感も、そのお守りのせいにして、逃れることは可能だけど、
マクロ的視点で見ると、その残兵からイサラを守れなかったということではなく、
この戦争自体が間違っていると感じないとおかしいんですよね。
それが、軍隊に入るとわからなくなって、味方の死は敵のせいだと、また、
復讐から復讐の連鎖になってしまう。
どこかで止めないと、全員が死ぬまで戦い続け、憎しみが止まらないまま、
平和な社会になることは難しい。
でも、イサラが死んだ所で止めると、イサラだけが損をした格好になるので、
憎しみは残ったままになる。
だからこそ、戦争を仕掛けた相手に戦争で返すと、憎しみだけが残る結果に
なるんですよね。
それこそ、ロージーのダルクス人への偏見がいい例です。
ダルクス人のせいで両親が死んだということで、ダルクス人を恨む。
その人たちを恨むんではなく、人種や経歴など、一括りにして恨むから、
ダルクス人は皆、敵であると思い込む。
それが、重なって、イサラの死ということで、イサラを撃った人たちを恨む。
ロージーの人生は、ただ誰かを恨むことでしか
生きられなくなってしまうのが、とても悲しいことだと思う。
あとは、ウェルキンの感情を押し殺したような態度が、見ていて心苦しい。
妹が死んで、一番悲しいのはウェルキンなのに、立場上、感情を押し殺して、
皆の闘志をそがないように努力しているのが、なんか可哀想。
でも、ウェルキンの良い所は、イサラの死は敵の攻撃によるもので、
その怒りを次の戦いで発揮しようなどと味方を躍起づけようとすることはなかったこと。
素直にイサラの死を悼み、イサラに対してのみんなの想いを大事にしたこと。
だけど、立場上、イサラの死は「忘れて」と言わなければならないのは
かなり辛かったと思う。死に怖気づいてしまっては戦力にならなくなってしまうから。
こんな理不尽なことが正当化されてしまう戦争を恨みたいですね。
そのウェルキンの言葉を皆は身内が死んでも表情変わらない
鬼のような心を持つ隊長だと思わないで、隊長を心配して珍しい虫を探して、
元気付けようとした小隊の理解力に泣いた。
そして、EDのバラードが胸にしみる。
海での笑顔ではしゃいでいる姿が、逆に悲しく見えるなんてね。(´;ω;`)
ドッキリとかじゃなくて? ただの負傷とかじゃなくて?
いきなり葬儀のシーンとかびっくりした。
だって、EDでは、楽しそうにしていたじゃないか。
まさかの悲しみムード。
あのお守りをあげたときには、ロージーに死亡フラグがたっていたのに、イサラとは。
お守りもなんでもそうだけど、あげた時やもらった時って、それに頼って、
それがあるから、死んだとか死ななかったとか、変に結びつけちゃうから、
実際に死んだときに、モノのせいにできなくて、人を傷つける結果になるんですよね。
お守りを渡したから、もっていなかったから、効き目が悪かったからとか、
別に直接は関係ないことなのにそういうモノから結びつけて変な責任感とか罪悪感とか
感じてしまうから、あまり、モノに信仰心を持つとダメですね。
ロージーの責任感も、そのお守りのせいにして、逃れることは可能だけど、
マクロ的視点で見ると、その残兵からイサラを守れなかったということではなく、
この戦争自体が間違っていると感じないとおかしいんですよね。
それが、軍隊に入るとわからなくなって、味方の死は敵のせいだと、また、
復讐から復讐の連鎖になってしまう。
どこかで止めないと、全員が死ぬまで戦い続け、憎しみが止まらないまま、
平和な社会になることは難しい。
でも、イサラが死んだ所で止めると、イサラだけが損をした格好になるので、
憎しみは残ったままになる。
だからこそ、戦争を仕掛けた相手に戦争で返すと、憎しみだけが残る結果に
なるんですよね。
それこそ、ロージーのダルクス人への偏見がいい例です。
ダルクス人のせいで両親が死んだということで、ダルクス人を恨む。
その人たちを恨むんではなく、人種や経歴など、一括りにして恨むから、
ダルクス人は皆、敵であると思い込む。
それが、重なって、イサラの死ということで、イサラを撃った人たちを恨む。
ロージーの人生は、ただ誰かを恨むことでしか
生きられなくなってしまうのが、とても悲しいことだと思う。
あとは、ウェルキンの感情を押し殺したような態度が、見ていて心苦しい。
妹が死んで、一番悲しいのはウェルキンなのに、立場上、感情を押し殺して、
皆の闘志をそがないように努力しているのが、なんか可哀想。
でも、ウェルキンの良い所は、イサラの死は敵の攻撃によるもので、
その怒りを次の戦いで発揮しようなどと味方を躍起づけようとすることはなかったこと。
素直にイサラの死を悼み、イサラに対してのみんなの想いを大事にしたこと。
だけど、立場上、イサラの死は「忘れて」と言わなければならないのは
かなり辛かったと思う。死に怖気づいてしまっては戦力にならなくなってしまうから。
こんな理不尽なことが正当化されてしまう戦争を恨みたいですね。
そのウェルキンの言葉を皆は身内が死んでも表情変わらない
鬼のような心を持つ隊長だと思わないで、隊長を心配して珍しい虫を探して、
元気付けようとした小隊の理解力に泣いた。
そして、EDのバラードが胸にしみる。
海での笑顔ではしゃいでいる姿が、逆に悲しく見えるなんてね。(´;ω;`)
コメント一覧 (4)
しかし、優しいですね、ヨークさん
私なんぞは虫への反応に「おいおいそりゃないだろ、ウェルキン…でもまあこの場合仕方ないか」と思ってしまいましたが、意識してかせずしてか、冷めた一言一言が、相手を傷つけることで自分をいじめる形になっていて、痛々しいことこの上なかったです
「憎しみの連鎖」のご指摘は鋭いですね…。原則戦争アクションですから、そこにどれだけ突っ込むかはちょっと微妙な感じですが、作品全体の社会的メッセージがどこを目指しているかで、物語の流れが変わってくるでしょうね。ただ現実の戦争に即すると、私も嫌なフラグが立っていると思います。ロージーは次回ザカが何とかしてくれるであろうと期待しています。むしろファルディオが…彼の今回の言動は、部隊の結束が崩れないようにするにはベストの選択だったと個人的には思っていますが、この先何かの選択を迫られた時におかしな方向に転ばなければいいのですが…杞憂であることを望みます…
それでは失礼します
予想通りなら最終回付近で全滅に近いとか考えていたので、イサラ一人がいないくなってしまうとは予想も出来ませんでした。
まあ、悲しいアルバムには違いないのですが、イサラが写っているということはイサラが生きていたときに撮ったということで、これから先に何が起ころうともおかしくないってことですよね。
あぁ、毎回、EDを見るたびにイサラの事を思い出して泣けるのはちょっと悲しすぎる。
> 相手を傷つけることで自分をいじめる形に
なるほど。そう感じ取りましたか。
私は逆に思いました。自分の悲しさや怒りや憎しみの感情を押し殺して、逆に誰も傷つかないようにしていたように見えました。
虫をとってきた隊の人たちにも、こんな時に何をしているんだ、と怒るのではなく、冷静に隊長としての命令を出そうと、自分の気持ちを押し殺して、必死になっていたように感じましたよ。
そうなんですよね。戦争が舞台なんだから、この作品の前提に突っ込んでいるようなものですしね。お門違いなのはわかっていました。
でも、この作品の方向性としては、前半と後半に別れたOPの「明日へのキズナ」と「カナシミレンサ」の違いからも憶測できると思います。
前半部分の楽しかった雰囲気は「明日へのキズナ」ということで、この争いの未来に希望が待っていて、明日への勇気につながっていたと思い、前向きで、それほど、悲しさについて触れる描写は少なかったです。
だけど、後半の「カナシミレンサ」が、まさに憎しみの連鎖から悲しみの連鎖が生まれるものと、OPの歌詞が私に訴えかけているような気がしたので、こう書きました。
悲しみの連鎖ですから、その悲しみがこれからも続いていくというわけで、その悲しみの根源にあるものを視聴者に見出して欲しいと、制作側は考えていると思うんですよね。
だから、前半と後半でのテーマが違っているのかも知れません。
前半は戦争アクションとして、ウェルキンの戦略中心としての娯楽アクション。
後半は戦争の悲惨性と悲しみを全面に出しながら、その根底を考えてもらうもの。
OPの悲しみの連鎖がロージーの親とイサラだとしたら、後半のテーマを背負っているだけに、簡単に心を癒すことは難しいと考えているので、ザカも含めて、ロージーの心のケアをどうしていくか注目ですね。
> ファルディオ
私自身がウェルキン的考えなので、彼とはあまり合わないかもしれません。(え?
殴られたのも、頭にハテナ状態だったので、行動的な彼の心が少し読めなかったので、ウェルキンはよく、ファルディオと仲良くできるものだと思っています。この二人の結束力に三角関係と今回のイサラの件が加わったので、今までどおりとはいかないかもですね。私も杞憂であれば、と望みます。