狂乱家族日記11-1狂乱家族日記11-2

これは良い恋物語。


雹霞と一人の家族を亡くした女性との小さな恋の物語。それが暖かく、切ないものなら、いいけど、そこに残酷性が加わると、なんかゆがんで感じる。でも、そんな思いもラストでは払拭するストーリー展開が、今回は好きな話だったりします。

こういう、短編的なサイドストーリーみたいな方が、自分としては、好みみたいです。ギャグに突っ走ったり、本編の深い過去の話をシリアス的に展開するよりも、ほんわかとした軽い感じのノリが好きですね。

家族を亡くして、姉は生きていると思って、店の中でずっと待っている女性、鷹縁切子。そんな女性に恋をした雹霞とのほのぼのとしたストーリーから、鷹縁切子の告白へ。

「あたい、家族がばらばらになってから一人で。雹霞やんに優しくすれば、友達になってくれるかと思って。雹霞やんを必要としとったんはあたいなんや。けど、雹霞やんは、あたいなんて必要あれへんことがわかった」
「雹霞やんはええなぁ。自分を名前で呼んでくれる家族がおって」

孤独でさびしいので、無理してでも、友達を作りたい。少しでも輪の中に入って、みんなの中で寂しさを紛らわしたいというのが、なんともいじらしくて良いじゃないですか。

そして、雹霞に対しても、ちょっとした、嫉妬を感じさせる一言を残して、また、独りになってしまうことを選ぶところも、なんかさびしい。そこは、相手の気持ちも考えずに、友達のままでいればよいと思うのですが。その友達が拒絶してきたら、それを受けれいれればよいだけで。でも、相手が無理しているように感じてしまうのも、敏感に感じ取ってしまう優しさなんだろうなぁ。

そして、新事実に。

鷹縁切子を初めて見たときに、雹霞のデジャブ的な感覚は、それが恋におちたからだと思っていたのが、いきなり、そのお姉さんを殺してしまったという事実に変わることの残酷さといったら、ないですね。

自分が人を殺してしまったという現実を受け止め、そこから生まれる罪悪感に加え、姉を殺したという過去をだまって、鷹縁切子をだましてつきあっていたみたいに思われる苦しさ。

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「せやけど、お前はんかて、つらかったやろ。それやのに、なんや、ごめんなさいって。なんや、許してって。なんや、嫌わないでって。バカにすんな。お前はんが謝る必要もかけらもないわ」

この方便を使った早口な怒り方が、かなり好きです。(〃▽〃)

手紙を受け取ったときに、相手の感情を敏感に察知してしまう鷹縁切子は、やっぱり、悪いのはだれとか、謝るとか、そんなこと、どうでもいいんですね。それ以前に、相手の感情が手に取るようにわかるので、手紙に表現されなくても、つらい気持ちを汲み取って、とっさに感情をむき出しにして、つっかかっている様子が、なんか切ないです。

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「せやから、あたいが一人の鷹縁切子として、自信が持てたときに、また会おう」

一人の人間として、見てもらえるように、自分を訓練する旅に出る。なかなか良い結論ですよね。

雹霞の呼称が娘さん→鷹縁切子に変わるラストの演出とか好きですねぇ。呼び名って大事なもので、戯言シリーズのいーちゃんを知っている人ならわかるかもしれないけど、その人の存在そのものに関わってくる。大勢の中の一人か、その人そのものを指すかで、大きく違う。

雹霞も自分の周りの人間の一人だと思っていた鷹縁切子をいつまでも、娘さんと呼んでいた。それは、その人が特別な存在だと、心の中で思っていても、それを口に出してしまうと、その重いが相手に気づかれて、恥ずかしいという感情があったからなのか。

それとも、ラストの部分までは、大勢の中の一人だったので、娘さんという呼称を使っていたのかわかりませんが、最後のセリフの鷹縁切子さんと呼ぶことで、雹霞の人間性が増したことや、鷹縁切子との関係が一歩先に進んだように見えて、明るく終われましたね。

あと、「雹霞やんはええなぁ。自分を名前で呼んでくれる家族がおって」に対する回答にもつながっているのが、なかなか良い結びつき。